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遺構を消費する

 みな同じスマホを持って同じ様なライフスタイルを目指していて、それが安心できると言うなら分からなくもない。しかしそれがイケてると思っているのだとしたら痛々しい。
 人気のスイーツや人気のスポットを押さえて、人気のアクティビティをこなし、オシャレなお店でランチやディナーとカレンダーの空白を埋めるのに事欠かない都会生活に何処か優越感を抱いているのだとしたら可哀想ですらある。

 もちろんこれは私の価値観で観た場合の話であって、当人にとっては余計なお世話だろう。人の事をとやかく言うなと目くじらを立てたくなるだろう。でも、もしそうやって怒りが湧いてくるのだとしたら、少なくとも一部分では図星だということだ。空虚感に苛まれないまでも、その存在を薄々感じていることだろう。

 だからといって奇抜なファッションに身を包めと言うつもりは無いし、別にiPhoneが駄目な商品と思っているのでもない。
 自分らしさを追い求めるあまりに見失っているというか、ステレオタイプに落ち着いてしまっている人が多い気がするだけだ。
 要するに多様性に乏しい。そのことに無自覚だとしたら日本は淋しいねと思うだけだ。

 世界に目を向けると、日本の特異性は際立っていて、つまり日本は世界に多様性を与えている。多様性に乏しい社会が多様性に一役買っているのは皮肉だが、そういうことだ。ただ現在の日本の風景を作っているのは過去の営みの結果であって、将来がどうなるかは分からない。日本全国どこに行っても、どんな田舎でもイオンモールがあるような日本は次第に観光価値を失うだろう。人が動物園に行くのは日常では見られない動物を見るためだ。動物園に家猫しかいないのであれば、猫カフェで事足りる。

 そう考えると、輸入された価値観を大切に育てて来た日本がここまで特異になれたのは、過去にあった日本的なものが豊饒だったからなのだろう。注入出来る豊富なエッセンスを日本が持ち合わせていたからだ。それはもしかしたら江戸時代の遺構なのかも知れない。
 掘削可能な資源がなくなった時が日本の特異性がなくなる時にならないことを切に願っている。

おわり

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