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これがあるから仕事も頑張れる?

 これがあるから仕事も頑張れる。
 そう言う人がいる。
 これのための仕事なのか、仕事のためのこれなのか。ふと、そんな風に思った。

 これ、という言葉に当てはまるものは人それぞれだろう。ちょっとした息抜きのスイーツ、カフェでのくつろぎのひと時、趣味に没頭する時間、友人と酌み交わす酒席、高級車、有名ブランドファッション、豪勢な旅行。

 仕事に時間を捧げる事を経て「これ」が得られるのだとすると、あなたと仕事の間で時間を巡っての紛争が勃発することになる。どちらが多くの時間を専有するか、時間の椅子取りゲームが始まる。あなたの中で仕事と「これ」が敵対し、仕事にまつわるあらゆる事が、「これ」に時間を使わせまいと阻害してくる。

 もし「これ」の代償として仕事にあなたの時間を差し出しているという感覚に陥ると、あなたは仕事の奴隷になることになる。
 「これ」には仕事で得られるお金が必要だから、「これ」の時間を仕事に使わせてやっていると思う事は構造上難しい。「これ」と仕事は非対称だ。どちらかと言えば「これ」は仕事に従属せざるをえない。
 だから、私たちは時間とお金を通じて仕事の奴隷になってしまう。

 与えられた枠組みの中で最大限の成果を上げることを目指す。きっと、これが普段私たちの多くがやっていることだ。学校でも入試でも就活でも、そして会社でも。
 でも、ブレイクスルーは枠組みの外にある。もっと言うと、未来は現在の私たちが見えている枠組みの外にある。

 高級車に乗り、ブランドに身を包んで高級ホテルに泊まる。それを会社からの給与収入をベースとしたダブルインカムで成し遂げようとするのは虚しい。その先に続くのは一生仕事の奴隷であるという生き方だ。しかも、いつしか会社からは放り出される事が確定している。そうなった時に、それまでの生活水準を維持するのは難しい。

 高級車にもブランドにも、はたまた美味しいお店にもさして興味のない私にとって、仕事をするモチベーションになるような「これ」は無い。「これ」のために仕事を頑張ろうとか、この仕事をやり切れば「これ」が待っていると思うような事は正直無い。
 ワークライフバランスは言ってみれば仕事と「これ」の配分の話。私にとって「これ」は、仕事と天秤の両側に掛けて比較をしたいものではなくて、どちらも大切なもの。
 仕事の時は仕事に集中し、「これ」の時は「これ」に集中する。ある意味不器用なのだが、それでいいのだ。
 アレのために我慢してやる仕事なんて、クソ面白くもないから嫌なのだ。
 アレもこれも何もかも、引っ括めて楽しみたい。枠組みには囚われたく無い一心で。

おわり

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