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計間測:08(街頭写真について考える)

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撮影地(渋谷、新宿

街頭、街歩きが好きな自分にとって、街頭や路上と写真は、切っても切れないものであると思う、気分がのらず中々シャッターを切れない時でも、
街中の雑踏をのらりくらりと歩いていると、色々と引っかかりだし、
シャッターが切れ始める。
雑踏は、そこを歩いている人々によってかたちとなって表れる。
整然としている時、雑然としている時、厚み、温度、速さ、色、
全く同じ日は一日として無いだろう。
シャッターが切れ始めれば、あれこれ色々と考えるのは止め、とにかく今日のその場所の空気感を切り取る事に専念したいが、
街中で写真を撮る事は、実は、葛藤の連続である。

例を挙げると
たまたま何かに反射した光を撮りたいと思った時、目の前のその光景をその瞬間に撮りたいと思った時、そのまま撮れば、歩く人の顔がドアップで写ってしまうという状況、歩いている人は、こちらが撮影しようとしている事に気が付いている。
人によってはそのままシャッターを切ったとしても、素通りするだろうし、
撮ったとしても、問題無い事もあるだろう。
その瞬間に撮れなければその光や光景は失われ、シャッターを切りたかった瞬間も終わっている、どうするべきか、、、という具合である。

被写体に集中するあまり、周りをあまり見ずにシャッターを切り、そのカットに写り込んでしまった方に、消してほしいと声を掛けられた事も何度かある。
そんな時は、もちろんその申し立てに応じデータは消去する事にしている。写真を見せて前ボケや後ボケでピンが全然合っていない時などは、これならいいや、と申し立てが取り下げられる事も。
が、撮影したその瞬間、少なからず不快な思いをさせてしまった事には、毎回申し訳なく思うのである。
そんな風に周囲の状況を考えながら写真行動をとっているわけでありますが、雑踏を行き交う人の姿形も拝借するかたちで、一枚の写真が構成されている事も多々あるので、
最低限その人が写っている事により、困るような写真にならぬように配慮しつつ撮るのですが、それが正解であるかは、最終的には、その人にしかわからないと思う。
街頭や公共の場での写真表現については、様々な論争があると思いますが、
すべてをガチガチに規制してしまった場合このような写真は撮れないわけで、、、、、その葛藤の中に何かが潜んでいる気もするわけで、、、、、
プロでもない趣味の範囲で撮影している自分が、このように浅い考えや視点で論じるのは、おこがましい事であるのは百も承知ですが、思考の整理も兼ねて書かせて頂いた次第です。
雑踏を歩く人々の邪魔にならぬように、不快な思いをさせぬように、
続けていける限りは、ひっそりと街頭でシャッターを切っていこうと思っております。

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