③ 「比較のトポス」の論証構造

②で示した論証の「理由づけ」「父親をさえ打つほどの者は隣人をも打つ」ということは、人々の間では常識(エンドグサ)として考えられていることなので、蓋然的ではありますが根拠を示す必要はないと述べました。
この「理由づけ」について詳しく考えてみます。
つまり、人々は「肉親に対する愛情のないものは、当然、隣人に対する愛情もない」と感じてしまいがちになるということです。アリストテレスはなぜそのように感じさてしまうのかというと、「何かが属している可能性より多いものにその何かが属していないようなら、その可能性のより少ないものに属していないのは明らかである」という思考が人々の心の中(頭の中)に存在しているからであると考えました。そして、このような思考のタイプを「比較」と名付けたのです(「比較のトポス」)。

香西秀信は「(人間は)いくつかの癖あるいは習慣に従ってものを考えるのである」と発想することの限定性について指摘しました。そして、「人間が議論をする際の発想は決して無限定なものではなく、いくつかの類型が繰り返して現れる」として、アリストテレス「トポス」を類型化された「発想の型」の集まりであると再定義しました(『議論術速成法』筑摩新書・2000)。さらに、アリストテレスの示した28の「トポス」を分類整理し、「類似・譬え・因果関係・比較・定義」の5つの「トポス」にまとめ直したのです(『議論の技を学ぶ論法集』明治図書・1996)。
本マガジンでは、この香西の再定義した「トポス」の考えを基にして考えていくこととします。

日常生活レベルの論証の構造で「比較のトポス」の構造を示すと以下のようになります。「理由づけ」においては「蓋然的ではありますが根拠を示す必要はない」と述べてきましたが、その根拠は人々の心の中(頭の中)にあるものであるから示す必要がないと言うことになります。しかし、構造的に示すと言語化されてはいないもののそれは確かに存在するものとなります。

      Aは父親を打った
        ↓    何かが属している可能性より多いものに
        ↓    その何かが属していないようなら、その
        ↓    可能性のより少ないものに属していない
        ↓    のは明らかである(思考の癖・習慣)
        ↓        ↓ *発想
        ↓ ←←← 父親を打つものは隣人をも打つ
        ↓    (アリストテレスの「エンドグサ」)
        ↓ *演繹
      Aは隣人も打つであろう

つまり、「理由づけ」はその根拠も命題も省略されて語られていることになります(二重の省略)。

「理由づけ」が省略されて語られる構造は、日常生活における論証の「bの構造」と同じことになります(マガジン「論理的思考・表現の在り方(構造編)」を参照のこと)。どちらも「人々の間では常識」であるから省略されることになりますが、絶対的に異なることは、「bの構造」の場合のそれは蓋然性が高い(過去の経験や歴史をふまえている)のですが「トポス」の場合は蓋然性が低い(単に人間の「思考の癖・習慣」に過ぎない)ということです。

このところが指導においては最も重要になってくるでしょう。

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