中学校の国語の授業 説明文編⑧ 『モアイは語る』指導の本当の意味=表現2

この「諸課題を解決」するための思考の流れは、数学の証明で学習した、そして『モアイは語る』の論証の基盤となっている演繹的な論証構造で示せば以下のようになるでしょう。

 データ:スマホは学校生活において役に立つ
  ↓ ← 理由づけ:学校生活に役に立つものは校内で使用してもよい
 主 張:スマホは校内で使用してもよい

この論証の「データ」は蓋然性が低いものとなります。よって、生徒たちの話し合いによって「何が役に立つのか」について具体的に明らかにしていく必要があります。すると、以下のように「データ」が複数の具体的事実から帰納的に導かれている構造が構築できることになります。

     学習においての役に立つ具体的事実(複数)
     生活においての役に立つ具体的事実(複数)
          ↓ *帰納
 データ:スマホは学校生活において役に立つ

(「理由づけ」は、本マガジン④で述べたように省略できるほどに常識的なものですから検討の必要はありません)
しかし、この段階で「主張」である「スマホは校内で使用してもよい」が決定づけられるものとはなりません。この「主張」はあくまでも特定の立場からスマホについて切り取ったものにすぎないからです。当然、異なる立場から切り取れば「データ」は「スマホは学校生活において役に立たない(悪い影響を与える)」とも言えることになります。すると「主張」は「マホは校内で使用するのはよくない」となります。
(この立場の違いについてはマガジン「論理的思考・表現の在り方(内容及び実践編)」で書いていますので参照してください)

https://note.com/tnrqw/m/m39ca3be53a1d

「諸課題を解決」するとは、いろいろな立場からの「主張」を出し合った結果、一番よい「主張」を選択したりそれぞれの「主張」を歩み寄らせたりして最終的には合意形成を図ることとなります。
この例では、一方の「主張」を切り捨て一方を選択する(ディベート的に相手の「主張」に反駁する)というものではなく、それぞれの「主張」のよさを取り入れていく場合を考えてみます。
仮に「スマホは校内で使用してもよい」という「主張」で合意形成に至ったとします。しかしその過程の話し合いでは、「よくない」という「主張」のよさを取り入れ(「データ」として挙げられるであろう「授業以外でも使用してしまう可能性がある」などを鑑みて)、「必要となる授業中に限って」「公的で緊急な連絡に限って」などという限定が付加されることになっていくことになります。

われわれ人間は、何かを決断する際には必ずと言ってよいほど論証を行っています。この論証についての学習を行ったのなら、論証を意識的に使って人生をよりよくしていかねばなりません。そのために学習するのですから。「スマホ」というおそらくは現実的には課題にならないもので例を示しましたが、このような学習に展開していかなければ国語科の意味はないのです。
国語科は(特に説明文の授業は)、「他の教科や日常生活に役に立ってはじめて意味がある」のです。


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