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311から10年目の日に写真展「分裂と融合」の参加アーティストたちが語り合います

昨日から「FISSION(分裂) and FUSION(融合) — POST/PHOTOGRAPHY 2011-21 3.11から10年目の、写真の今と未来」展が始まった。

本日、東日本大震災から10年目の3.11は、14時46分から会場にて加藤裕士ソロライブを、それをはさんで14時半から2時間程度Clubhouseにて参加アーティストたちが語り合う機会がある。このように3.11を過ごせるのは私らしいし、いいなと思っている。

被災地にて3.11の発災時にはサイレンがなり黙祷する光景はニュースなどで知っているものの、私はそういう瞬間を自分ごととして捉えられなかった。その一方で私の職場でその瞬間を無視して日常業務を続けているのにも違和感を感じていた。日常の居場所が居場所ではなくなる瞬間があるとは気づきもしなかった。

ならどうするのかといえば、私は数年前からその数分前から一人になれるところに行くようにしている。別に一人になりたいわけではないのだけど。今年はクラブハウスでそんなモヤモヤを感じることはないと思われ、なんか落ち着いてます。

改めてカレンダーを確認すると2012年3月11日は日曜日だそうで、おそらくテレビの特番を見ていたのだと思う。そして夜に原発関連のイベントに出かけた。2013年から2016年の3月11日が平日で、私は職場にいたと思われ、微妙に苦しかったのだと思う。2017年は土曜日で、私は夫と京都に居て、夫の卒制展示の設営を手伝っていた。が、その前年までの4年間の違和感のためか、その時が近づいた頃には遠くに置いてある長椅子に座っていた。もうこうなると乗り物酔いの類なのかとは思うが(苦笑)。

黙祷とか追悼をしたいわけではない。では何かと言えば、雑談がしたかっただけなのだと思う。あの時私はこうだった、あなたは何してた?とか。職場と言っても、一つのフロアに事業を遂行するための複数の関連企業が入っているところだったので、普段の雑談すらなかった。どこの会社もとは言わないが、同様な例は知人からも聞く。昔のコミュニティ機能は、今はもしかしたらSNSが担っているのだろうか。

昨日の展示で、来場者の方から10年前は仙台にいたとお聞きし、また別な方からは原発事故の話をお聞きした。そこからさらにお話を展開できなかったのだけど、今日はそういう話がでたら、10年前はどうしていましたか?ときいてみようと思う。

そう思うのは、こんなことが過去にあったからだ(これもどこかに書いた気がするのだが見つからず)。
20数年前に近所の町中華に食事に行った際に、お店のおばあちゃんが店の客(おばあちゃん)に「20年にはどちらにいらしたんですか?」と尋ねていて、昭和20年とはずいぶん昔の話を聞くなあと思ったら、その日は3月10日で、その後の会話から東京大空襲のことを話していたのに気づいたのだった。私にとっては過去の歴史と認識していた東京大空襲が、誰かにとってはその人の歴史なんだと初めて思った瞬間だった。

(Clubhouseや展示の詳細は以下を参照)


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