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森の国の食のものがたり

「水際のロッジ」に泊まった2泊3日が本当に素晴らしかったから投稿してみる。

「水際のロッジ」があるのは、日本最後の清流とも言われる四万十川のさらに源流。
空港のある松山から列車に1時間半ゆられて着く宇和島から、さらに車で1時間弱。
まるで海外旅行に行くかのような時間をかけてた辿り着く、愛媛の果ての山の中。
青々と高い山々に左右を囲まれた谷底の集落の、そのさらに源流にロッジがある。

滑床渓谷の苔むした巨岩と清流

流れを、滑床渓谷という。

巨大なウォータースライダーのような川底を水がなめるように流れたと思ったら、滝や瀬にしずくが跳ね、また巨岩の隙間を縫うようにとうとうと流れる。

流れる水に触れてみる。
引き締まるように冷たく、でもさらりと透明。
このような水を、まさに清冽というのだと意識した。

大きく息を吸い込んでみる。
ここの空気は心地よい。適度な湿度がある。
木の幹や岩肌には、青々と苔が茂っている。この苔というのは、最適な湿度と温度がないと育たないという。ふつうの家で苔玉を作ろうとするとすぐ枯れてしまう。

そういう意味では、生き物に優しい空気なのだろう。

この冬に田んぼが緑なのは、れんげの芽が出てるからと聞いた

集落では、そんな豊かな空気と清冽な水に恵まれ、日々の暮らしを支える米や野菜を育てている。

私は、人がつくったものには、作ったときの気持ちが宿っていると思っている。
たとえば楽しい気分で作った歌を聞くと楽しくなる。
iphoneなどアップル製品が美しいのは、美しく設計されたオフィスなど美に意識を向けていたからだろう。

食べ物もそうだ。
コンビニの食事はたしかに味はいいけど、なぜか味気なく感じたり、毎日食べ続けられなかったりする。
ジビエが臭いと言われるのも、例えば捕まった鹿などが、苦しんで死んだからだという。ストレスが肉をまずくするというのだ。
逆に死んだことも気づかぬくらい一息に殺された肉は、信じられないくらい美味しい。

夕食にいただいた季節のピザ

こう考えると、この水際のロッジでいただいた食事は、本当に気持ちよい恵みが込められていた。

まず素材。美しい水と空気があり、例えば「毛利さん」のように顔が見える素晴らしい人が丹精込めて作ったお米。

この素材を料理に仕上げる料理人とも、話す場面があった。夕食のピザを作り焼く際、客一人一人と話すのだ。
いただいたルッコラと燻製モッツァレラのピザ。苦味のあるルッコラを刻むだけでソースのように扱い、チーズは燻製して香りをつけて… それぞれを選んだ背景があり、一枚のピザに仕立て上げる緻密な計算があることを教えてもらった。
食に対する真剣なまなざしに、尊敬の気持ちを抱いた。

お米が輝く朝ごはん

朝食は、窓に向かって座った。

深い山に遮られたここは、日の光が差し込むまで時間がかかる。
空が明るくなってしばらくしてから、暗かった山の端に日が差しこむ。
太陽が山頂を染め、そして徐々に明るい部分がおりていく。

これを見ながらご飯をいただいていると、ふと、自然は循環しているんだと素直に納得できた。
朝が来て太陽が巡る。水も流れて、そして雨になって還ってくる。そこで育まれた栄養、自然の恵みもまた、巡っている。
自然の恵みを、いただいている自分もまた、巡り巡る流れのなかにいるんだと。

食は明日の自分の体を作るもの。
こうした自然と人の愛に満ちた食べ物で明日の自分が作られることが、心から、しみじみと嬉しく感じるのであった。

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