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得意を活かせ、と言う自分自身は得意を活かせている?

すっかり暑くなりました。まだ6月なのに都内は梅雨も明けて37℃、ちょっと暑すぎますね。

今月も一人合宿をやっていて、月中の週末に湯河原に行っていました。滝の流れるコワーキングスペースがあって、とても気持ちよく過ごせました。湯河原には温泉がいくつもあり、静かな温泉にゆっくり入ってリフレッシュしながらふと思ったことがあったので、今回はそれについて書いてみようと思います。

デプロイゲート社は最近エンジニア採用をしています。ジョブディスクリプションを用意して、求める能力や、ビジョンへの共感といった基準を置いていますが、基本スタンスは「あなたの得意を存分に活かして、我々を前進させること何でもやってください」です。私自身、それが個人として一番パフォーマンスが出せるし、組織としても比較優位性を上手く活かせると考えています。

そこまではよいのですが、ここへ来てふと一つの疑問が浮かんできました。

いまの自分は得意を存分に活かしてるんだっけ

私は元々「ソフトウェアエンジニア」というバックグラウンドを持っています。

社会人になる前から、個人としての趣味やアイデンティティの一部としてツールやサービスを作る経験をしてきたこともあり、新卒として就職したあとも大きく壁にぶち当たることもなくご飯を食べることができていました。客観的な評価も相まって、ソフトウェア開発は得意なこと、という自覚があります。

しかしその後、DeployGateが生まれ、突然事業責任者となり、突然会社経営者となります。会社を設立からもう7年になりますが、ここまでずっとどうすればいいのか分からないことが多く、四苦八苦しています。ちょっと前にも失敗した話を書いています。

上の記事でも触れていますが、現在私がやっていることは、主にプロダクトマネージャと、技術や広報を中心としたコーポレート系全般です。キャリアとして実績が証明されているソフトウェア開発ではありません。

はたしてそんな自分は「得意を存分に活かして」いるのか、それをメンバーに求めることができる立場であるだろうか、そんな疑問が浮かびました。

できるかどうか分からないを続けている

いま自分がやっていることは、得意かどうか以前に「できるかどうか分からない」ことだと感じています。

飛び込んで来た目の前の課題を解決するところから、どういう未来を目指すのかの解像度を上げていくところまで、幅広い試行錯誤を幾度となくやっているのですが、あまり具体的なアウトプットまで辿り着かないこともままあり、正直達成感には乏しいものがあります。

これだけだと全然得意とは言えなさそうです。

でも、それが何年も続けられているとしたらどうでしょう。暗中模索に疲弊しているのか、というとそうでもないのです。漠然と、なんとかできるんじゃないかな、と感じていて、なんだかんだ最終的にはちょっとだけ前進しています。

結果が出るか分からない状況で、物事をやり続けられるのはちょっと希有な能力かもしれません。少なくとも、このジョブディスクリプションで人を採用できる気はしません。

そうなってくると、これも自分が得意なことなのかもしれない、という感覚が出てきます。自分の得意なことはソフトウェア開発だ、と認識していましたが、それ自体がズレている。本当に得意なことは、ソフトウェア開発よりはもっと広いスコープにありそうです。

課題を見つけて適切な方法で解消して日常にする

長年自分の主戦場だと思ってきたソフトウェア開発で楽しさを感じていたのは、主に「課題を根本に近いところで費用対効果高く解消すること」と「存在しなかったまったく新しい価値を生み出すこと」でした。ボトルネックを見つけて解消するのはとても楽しい。思いつきもしなかったことができるようになるとめちゃくちゃ喜んでもらえる。

ただ、ソフトウェアも必要な機能のコードを書いてビルドすれば終わりかというとそうではなく、それを必要とする人が違和感なく使えて効果を得られる状態になっている必要があります。

最近「自分の得意なことって何だろう」と奥さんと話していたら、こんな話をされました。

raiさんは、ものを作るのはもちろん上手で、それはそれなんだけど、実際に人が使うシーンをよく考えられてるなって思う。「仕組み」を「日常」っていうストーリーの中に溶け込む状態に落とし込むのが上手いよね。「システム」を作るというより「日々や習慣を変える」とかに近い感じ。

例えば多くのサービスで「システム」感が否めないのは、中の構造がUIから透けて見える部分があるからだと思うんだけど、そういうところをうまく配慮して日常に溶け込むようにしてる印象。DeployGateでいえば人の日々の仕事を良い方向に改善していってる感じがするんだよね。

奥様本人による文字起こし

ユーザーがプロダクトを無意識下で違和感なく使えるにはどういう「形」になっているといいのか、またそれを必要とする人の手の届く場所に持っていくにはどうすればいいのか。私はそういうことをよく考えるのですが、思い直すと確かにこれはソフトウェアエンジニアに求める能力ではなさそうです。

「方法は分からないけどあれを作ってみたい」「これは自分だったらこうしたいな」 —— 体験の設計も、パッケージングも、文章も音も映像も、そもそもプログラミングも、そういうところから技術や知識を拾っては真似て、その根幹にある理論を理解して応用することを繰り返しています。

で、いまプロダクトマネージャとか経営者とかでやっていることも同じようなことだなと思いました。

現時点で持たないスキルや知識が必要となった時に、これを上手くやるにはどうすればいいんだろう、という視点で学んで吸収していくのは好きだし、得意な方だと思います。あと納得いくまでやり続けるのも得意です。疲れて一時離れることがあっても、また戻ってきます。

なんか新卒の自己PR文でも書いてるような感じになってきたんですが、この得意なこと、なんて呼ぶのがいいんですかね。あんまり上手い名前が見当たらない。広い意味での "engineering" なのかもしれないです。

The action of working artfully to bring something about.
(何かをもたらすための巧みな工作行為)

Google Dictionary

「作りたいものを作り続ける」は得意といえるのかも

というわけで、私は「課題を見いだして解消していく」「納得いくまでやり続ける」という意味では得意を存分に活かしていると言えそうです。

こういう状況を作れたら幸せなはず、に向けて試行錯誤を繰り返すという観点でいうと、そもそもソフトウェア開発というスキルもこの一環で身につけたものでした。

どういうわけか私は子供の頃にワープロ専用機で「記入用のフォーム」を作るのが好きで、これをちゃんとコンピューター上で入力できて機能する形で動かしてみたいという思いがあったことを思い出しました。その後プログラミングができる友人を見つけ、スキルを身につけ、あれこれあっていまに至ります。

今日経営者をしているのも、まずもって世の中に解決したい課題があって、それを一番適切に解消する方法をうまく実現していくために、会社経営という手段を手にして、この領域で試行錯誤している感じです。

なのでいま「得意を活かしてるんですか」って聞かれたら、「まだぼんやりしてるけど作ってみたい世界があって、そこに向かって試行錯誤し続けるのが得意でそれを活かしているよ」とは答えられそうだな、という結論に至りました。

めでたしめでたし。

余談

今回の話で出てきた考え方には、「なんでも全部やれた方が楽しいよね」という方向性が含まれているんですが、これは個人としてメリットはありつつ、チームとしてやっていくにはちょっと効率が悪い、というか難しいです。チームの誰もがなんでもやる状況では、例えば目の前に課題を見つけた時に、自分がこの課題に手を出すべきなのかのどうかの判断が難しくなります。

以前は会社組織にこの考え方がダイレクトに(雑に)適用されていて、上手く回ってなかったように思います。会社では個人ではなくチームとして効率よく動ける方法が必要でした。

採用を考えるにあたって、ある程度チームとしてスコープを明確にした方が頼む側もやる側も期待値揃えやすいよね、というところをきっかけに、会社のファンクションの整理が進み、ここ最近会社の中にいまある役割・足りない役割がしっかり見える化されました。

自分がやっていることも明文化された

そこからさらに、自分は何も言ってないんですが、セキュリティ、データ分析基盤、採用、顧客の声を吸い上げるといったチームが草の根的に定義され、早速よいアウトカムが得られてきています。みんなすごい。

ここから提供価値ごとにチームを作っていくのがいいんじゃないか、でもこれやりすぎると発散するよね、やっぱり全体で一つの指標が大事だな、といった話が最近活発になされています。

というわけで、組織としての試行錯誤は、もはや一人じゃなくてみんなでやってます。ほんといいチームになってきたなと思います。

最後に

株式会社デプロイゲートではiOSエンジニアを募集しております。iOSエンジニアといいつつ、SDKの開発というちょっとだいぶニッチなところを求めております。もし興味のある方がいましたら、是非。

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