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文化の中にあるつながり、その価値って忘れがち

 匂いの記憶って、ずっと残るってどこかで聞いたことがある。

 鳥取県、その西にある米子。
 特急列車で街に入っていく途中で、閉め切っているはずの車内に異臭がたちこめた。他の乗客たちは慣れているのか冷静なものだが、初めて嗅ぐ人にとってはたまらない臭いだろう。
 でも、僕にとってはどこかで嗅いだことがある匂い・・・。子どものころ、釧路で出会った匂い。
 窓の外を見ると、そこには製紙工場。製紙工場は、クラフトパルプを作る過程で、どうしても避けられない硫黄系の臭気が出てしまうのだそうだ。釧路でも、操業している製紙工場からは、とんでもない異臭が出ていたのだが、30年たった今でも、臭い対策ってされていないものなのだな。
 もっとも、釧路で嫌われものだったその工場もいつの頃からか煙も止まってしまったのだが。

 今回、鳥取に来た目的は、社会的処方の講演をするためだ。
 日曜朝の講演だったため、土曜から前泊となる。なにせ、川崎から鳥取には新幹線と特急の乗り継ぎで6時間近くかかってしまうからだ。

 そこで、主催者のはからいで、土曜日は米子周辺の観光に連れて行っていただけることになった。
「鳥取なのに砂が無いんですね、ってよく言われるんです」
 と、案内をしてくれた先生が苦笑する。砂があるのは鳥取市であって米子市ではない。というか、鳥取市に行ったところで市内には砂なんてない。これまで訪れた方々はどれほどの偏見ぞろいだったのだろうか。

 見どころのメインは、隣の境港市にある「水木しげるロード」だ。妖怪たちが立ち並ぶ道は寒風が吹き荒れ、人っ子一人いない。そもそもこの時間、店もほとんど開いていないのだ。
 こんなので運営していけるのか、と心配になって聞いてみたところ
「日中にはもっと人がいるんですけどねえ」
 と再びの苦笑い。しかし、妖怪の町なんだからむしろ夜をメインにした方が良いんじゃないだろうか。
 妖怪にやられてすっかり冷えてしまった体を、皆生温泉に浸かって温め、その後はしこたま、鳥取自慢の地酒を堪能する・・・って、なんて幸せなコース!で1日目は終わり。
※僕個人は金欠ということもあり、全て奢って頂きました・・・。ありがたい限りです。

 そして翌朝は、「天空の城」として名高い米子城に登るために朝6時から登山。
 まったく明かりも装備も無い中、山に登るっていうのは命の危険もあるんじゃないかって2、3度は感じる羽目に。
 天守跡に登って、日が昇るのを待っていると、ちらほらと登ってくる地元の方々が。
「おはようございます」
「はい、おはよう。今朝も寒いですね」
 なんて会話を交わし、天守のベンチに腰掛けて、「伯耆富士」大山からのぼるご来光を待つ。年末年始や、大山の頂上から太陽が昇る日だと、何十人もの方が天守に集まるのだという。
 三脚をかついで山を登ってきたカメラマンに天守を譲り、僕は一段下に降りると、ようやくご来光が。

 整然と積みあがった石垣の向こうにのぼる朝陽を眺めながら、昨日ご案内をしてくれた方の言葉を思い出す。

「米子はね、トライアスロン発祥の地なんですよ~」

 えっ、トライアスロン?あの走って、泳いで、自転車に乗る、あの?
 しかし、「トライアスロン」って明らかに日本が発祥とは思えないネーミングなんだけどな・・・って、よくよく調べていくと「日本で初めてトライアスロンの大会が開催された地」だった。
 それはよくある勘違い、ってやつだったのだけど、この数時間で米子周辺だけでも、妖怪・大山・米子城・トライアスロン・カニ・地酒・・・とコンテンツにあふれた町だなという印象を受けた。

 最近の社会的処方の考え方の中に、「自分より大きなものの中にいてつながりを感じられると、人は安心できる」といったものがある。
 ここでいう「大きなもの」とは森や海といった自然もそうだし、歴史という時間の流れ、例えば築100年以上の文化財級の建物や、縄文・弥生時代の遺跡、地元でずっと続いてきたお祭り・・・などなど。そういったものはGreen/Blue Social Prescribing(森と水辺の社会的処方)と呼ばれて研究が進んでいたり、Heritage Connector(遺跡と人をつなげるワーカー)と呼ばれる専門家が町中の遺跡を案内する役割を担っていたりする。
 つながりを感じられるまちは、強くなれる。米子市では、こういった「自分より大きなものと自然につながれる」感覚が培われているのではないだろうか。それは、他の地域と比べて大きなアドバンテージだ。

 大山に対する信仰もそうだ。
 日本人は宗教心が薄い、とよく言われるが、それは生活の中に宗教(的なもの)が溶け込んでしまっているからだ。もちろん、その溶け込み具合は地域によって異なる。その中でも、この米子の地域は大山に見守られた地、という意識が刷り込まれているのではないか、という印象を僕は受けた。
 そういった「つながり」を感じられる地域は、その土地で生きていこう、とする力が、他よりも強い気がする。

 これからの社会的処方は、単に患者さんとサークル活動をつなげます、といったものではなく、もっと大きなものとのつながりを考えていく必要がある。
 自然とつながるには。
 歴史とつながるには。
 まちの流れとつながるには。

 それが、もともと、自然に、根付いている地域はそれだけの強みがある。だけど、そこで暮らしている方々は意外と、その多大なる価値に気づいていないかもしれない。
 よく、地方から東京に出てきた人が「コンクリートジャングル」などと揶揄して精神をすり減らしているが、あれも地元での「大きなものとのつながり」から切り離されて、自分にとって何もない、そして新しい地域での文脈にも巻き込まれにくい都会だからこそ起こる現象かもしれない。

 実は、地方の伝統ある歴史や文化、自然の中にこそ、そこに生きる人たちの「芯」があるかもしれないってこと。そして、そこに暮らす人たちがその大切さに気付いていなければ、その価値はいずれ失われていくかもしれないってこと。
 社会的処方の考えが広まることをきっかけに、こういった既存の文化、「当たり前と思っていたこと」の価値を再発見できるかもしれない。

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