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安楽死制度を求めていくために必要な3つの要素~安楽死制度を議論するための手引き02(第2部)

論点:安楽死制度は必要性があることは事実。考えるべきは「どう運用するか」「いつ制度化可能か」

前回、僕は

安楽死制度を始めるためには緩和ケアの発展と均てん化が必須

と解説をしてきました。

それと同時に、
「人間の苦痛には際限がなく、全ての苦痛をゼロにすることは不可能」
とも話しました。苦痛に際限がない以上、緩和ケアはその技術の発展のために歩み続けるのみで、ゴールに到達できることは無い。つまり、安楽死を制度化する前に、緩和ケアを充足させるべし、って主張には「そもそも終わりがない」んです。だから、これを理由に制度化反対、時期尚早って言うのはちょっとずるいですよね。

でも、「苦痛をゼロにするのは不可能ではあっても、安楽死制度の運用に耐える緩和ケアの発展および均てん化のライン」を決めることはできます。というか、それを決めて早く議論のステージを先に進めたいですよね。僕もそうです。

安楽死制度の運用に耐える緩和ケアの発展および均てん化のライン、とは

では、具体的に安楽死制度の運用に耐える緩和ケアの発展および均てん化のラインをどこで引くか、について考えましょう。
もちろん、このラインをどこで引くのがベストかは恣意的なものです。ゴールがない以上、誰かが「ここ」ってラインを引かなければなりません。もちろん、そのラインをどこで引くべきか、についての議論は必要でしょう。

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