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2:もう一人の安楽死――Yくんの場合


「先生、抗がん剤していても、セックスってしてもいいんですよね?」

 奥さんが隣にいるのに、あっけらかんと尋ねる彼に、こちらのほうがどぎまぎする。診察室を一瞬静寂が襲ったが、僕は努めて冷静に、
「ええ、大丈夫ですよ。ただ、感染に気を付けて。避妊はしてくださいね」
 と笑顔で答えた。ただ、口元は少し引きつっていたかもしれない。
「よかった。ほら、そういうことって大事でしょ。でも、主治医の先生には聞きにくくて」
 前から聞きたかったんですよ、と満面の笑みで語る彼の隣で、表情を崩さずに聞いている奥さん。その対比がちょっと興味深かった。

 彼――Yくんは、1年前から僕の外来に通院している大腸癌の患者だった。22歳で大学を卒業後、広告代理店に勤務したが、24歳の時に大腸癌が見つかって手術。その時に受けた看護師のケアに感動し、自らも看護師になることを目指すことにしたのだそう。
 26歳で看護学校に入り直し、勉学に励むも、27歳のときに肝転移が見つかり、再発と診断された。手術を受けた大学病院で抗がん剤治療に取り組む一方で「よりよく生きるために」と希望されて、当院の「早期からの緩和ケア外来」を受診したのだった。
「先生のツイッターもよく見ていますよ」
 と初対面のとき、Yくんは僕に言った。僕のツイッターでの発言を見て、緩和ケアを早期から受けることを希望したとのことだった。
 それから1年間、2か月に1度程度、外来に通ってもらっている。

 今のところは抗がん剤治療の効果が続いていて、取り立てて大きな症状はないらしい。
「でも、もう少しで有効な抗がん剤を使い切ってしまうって、大学の先生は言うんですよ。肝臓のところの腫瘍も少し大きくなっているって。なんだか夢のない話ですよね。今、いい治療がたくさん開発されているっていうじゃないですか」
 実際の年齢に比べて、Yくんは少し幼く見える。口を尖らせて不満を言うその姿が、子どもが駄々をこねるようで可愛らしかった。
「まだわからない、って先生もおっしゃっていたでしょ。新しい治療だって試せるかもしれないって」
 そうたしなめる奥さんは、Yくんより少し年上と聞いた。
 いつも落ち着いて、自由奔放な夫をうまくコントロールしている。Yくんも「僕のことを誰よりも理解してくれる大切なパートナー」と照れ臭そうに言っていたことがある。自らの仕事をこなしながら、夫が看護学校と病院に通う費用を負担し、さらに病院への付き添いもしているのだからすごい。「貯金がありますから」と奥さんは謙遜していたけど、それでも大変なことは事実だろう。

「先生、今年もキャンプ行けますかね? あれだけは行きたいんです」
 Yくんが唐突に話題を変えた。
 彼の言う「キャンプ」とは、喘息などを持っている子どもたちを対象に行われている、健康増進と療養指導を目的としたイベントのことだ。1年前に当院に来た時に、
「もしかしたら看護師になれないかもしれない、って大学の先生に言われたんです。なんかがっかりしちゃって。このまま勉強続けても無駄なのかなって」
 とYくんが話すのを聞いて、もう少しじっくりと話を聞いてもらえたり、社会とのつながりを紹介してくれる場所が必要かな、と思い「暮らしの保健室」の看護師・及川を紹介した。

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 暮らしの保健室とは元々、新宿の戸山ハイツという団地の一角に「地域のよろず相談所」として立ちあげられた場所がその発祥だ。
 学校にある保健室は、ちょっとしたケガや、お腹が痛いといった体調のことだけではなく、「今日は何となく授業に行きたくない」「担任の先生には言えない悩みがある」といったときにも受け入れてくれる場所。
 暮らしの保健室も学校の保健室のように、病院に行くには敷居が高いけどちょっとした悩みを抱えていたり、また特に用事がない人でもふらっと立ち寄れて、お茶を飲みながら看護師やボランティアスタッフと気軽に話せる居場所として機能している。
 部屋の中には木材をふんだんに使用していて暖かい雰囲気があり、中央には大きなテーブルを配し、輪を囲めるようになっている。みんなで料理を楽しめるオープンキッチンも備えていて、家庭的でくつろげる安心感が特徴だ。
 団地の入居者に限らず誰でも予約なしに無料で利用できる。
 戸山ハイツは3000世帯をこえる大型団地だが、一人暮らしの方も多く、暮らしの保健室で定期的に開かれる食事会には「みんなで食べるご飯のおいしさ」を求めて、多くの方が訪れるという。
 2010年に新宿で始まったこの取り組みは、全国的に共感を呼び、今では50か所以上にも広がっている。川崎の元住吉にある暮らしの保健室も、そのひとつだった。

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 Yくんは、暮らしの保健室でいろいろと話を聴いてもらった結果、「Yくんにとって勉強にもなるし、先方も人手不足みたいだから」ということで、及川を通じてキャンプを紹介してもらったのだ。
 Yくんは看護学生のボランティアスタッフとして、先輩や医療スタッフのお手伝いをしただけだが、大変に感激したようで、その後も支援団体を通じて、子供たちと交流を続けているらしい。
「子供たちが待っているんですよ。人気者になっちゃって。スタッフさんたちも、ぜひ来てほしい、って言ってますから」
 そう言いながらも、一番そこに参加したいのが誰か、僕も、奥さんも知っている。野暮なことは言わないが。
「まあ、今の調子が続けば行けるんじゃないかな。もし肝転移に伴う症状が出てきても、それをコントロールさえできれば、キャンプに行けますし、行けるようにするのが僕の役目です」
 僕がそう答えると、Yくんはまた満面の笑みを返してきた。
 しかしその後、彼は少し目線をそらして、
「でも、いつまで続けられるのかって考えるとちょっと不安になりますよね。看護師にはなれない、って言われている身としては。来年まで頑張れば卒業できるんですよ。それが無理って言うなら、寿命がもう1年あるかないか、って意味だから……」
 と、寂しそうに言った。いつも楽天的なYくんにしては珍しい。
「そうですよね。不安になりますよね……。やはりYくんは、看護師になることが今も生きる支えですか?」
「そうですね。看護師になるためにずっと頑張ってきたんで。でも今はそれだけじゃなくて、妻が支えてくれていることとか、キャンプの子供たちとか、暮らしの保健室の及川さんとか、みんなが支えですね」
「なるほど、みんなが支え……」
「いや、看護師になることを諦めたってわけじゃないですよ。生きることは諦めないし、大学の先生言ってること外れろ! っていつも思ってますけど、まあなるようにしかならないんで」
「そうですね。なるようにしかならない」

 それは、Yくんの口癖だった。
 あまり先のことを考えたがらない彼は、僕が未来への備えについて話し合いを試みるたび、「まあ、なるようにしかならないですよ」と言って、うまくはぐらかしてきた。
 以前に奥さんは、Yくんを評して、
「彼は『今を生きる』ひとなので。いまやりたいこと、いま好きなことをする。昔からそう。あまり先のことは考えてないみたい」
 と言っていた。
 看護師になりたい! と言った時だってそう。会社を辞職して、妻を働かせて学費を出させ、看護師を目指すとなったら、少しは躊躇しそうなものだが、Yくんは妻に相談もなしにさっさと辞職の手続きをし、それから学費のことを妻にお願いしたのだという。
「順番が逆ですよね」と言って、奥さんは微笑んでいた。
「愛すべきキャラクターなんですよ、彼は。誰からも好かれる。子供からも。周囲が放っておかないタイプなんですよね」
 奥さんはいつもYくんのことを「彼」と呼ぶ。「夫が」と言っているのは聞いたことがない。興味深い関係だなといつも思っていた。

 ただ、この日のYくんは珍しく未来のことを話し出した。
 しかも、ちょっと予想外の方向で。
「そうですね、もし生きるのがもう無理、ってなるのだとしたら、苦しみたくはないなとは思いますよね。ほら、この前ネットで見たんですけど『安楽死』という最期の迎え方もあるっていう。僕もそれがいいなって。日本では無理なんですよね?」
 ――僕はドキリとした。
 また、安楽死。なぜ? このタイミングで。
「あ、安楽死ですか。Yくんも安楽死がいいと……」
 声が上ずる。
 吉田ユカと初めて会ったのは1週間ほど前。まだその出会いを引きずっていた。Yくんから発せられる言葉を聞いた僕は、明らかに動揺していた。
「うーん、そうですね。それもひとつの選択肢として考えたいですよね。日本でもこっそりできたりしないですかね。最後に苦しいのは嫌なんで……」

「きちんと緩和ケアを受けていれば、苦しむことはありません!」

 Yくんがびっくりしてこちらを見た。
 思った以上に大きな声が出てしまったらしい。
「どうしたんですか、先生。珍しく強い感じで……」
「……あ、すみません。ちょっと緩和ケアのことを強調したくて……」
「いや、先生のことは信頼してますよ。何とかうまくやってくれるんですよね?」
「ええ、きちんと何とかしますから任せてください」
 と、変な日本語で返す。
 背中が汗ばんでいるのを感じる。こちらの思いが伝わったのだとよいのだが……という期待は、次の一言によってかき消された。

「心配しないでくださいよ、安楽死はあくまでも選択肢のひとつに過ぎませんから」

(写真:幡野広志)

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