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明日も生きる自分との約束:幡野広志さんトークイベントから

6/23、幡野広志さん・糸井重里さん・古賀史健さんによるトークイベントのため三省堂池袋本店に伺った。
幡野さんの著書『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために』の出版記念イベントだ。

いま、多くのプロライターが
「幡野さんの文章にはかなわない」
と言っているという。
その理由を古賀さんは「知っている人」と「考えている人」の違いだと分析して見せる。
なるほど確かに幡野さんは「考える人」だ。
病気や生、そして死などについて「知識として知っている」だけではない。きちんと考えている。だからこそ、自分の言葉が流れるように出てくるし、考えていないことには誠実に、自信をもって「知らない」と言える。

また、
「宗教者は本音で語っていない。死後の世界のこととか聞いてみたけどはぐらかされるし。思ったよりも中身がなく、ペラッペラな人も多い」
と語る幡野さんに対し、
「宗教者は『建物』みたいなものだから。思い悩んで、懺悔したいときに、そこに教会がないと話にならないでしょ?宗教者も同じ。キンキラの袈裟をかけて、ありがたく登場すると『ああ、うちの親も成仏できるんだ』って思えるじゃない」
と糸井さんが応じる。
「でもそれってやっぱり残された人たちのためのものですよね」
と幡野さんは返し、
「知っている牧師さんで、その方もがんなんですけど、以前は敬虔なクリスチャンとしての発信をたくさんしていた人がいて。その当時は『本音ではなくて信じられない』と思っていたんですけど、ある時、限定投稿に変えてから『神を信じれば救われるなんてもう言いたくない』と発信するようになったんですよ。その時に、僕はその人の信者になりたいと思いましたね」
「医者もそうですよ。僕は必ず医療者に会ったらする質問があるんですけど、それに対して自分を患者として見て答えるのか、人として見て答えるのか、そこに本音があるのかということを見てるんですね。その答えでその後の付き合い方を考えているところがあります」

幡野さんから医療者への問い、とは?

幡野さんがこの話をされたとき、
「そんな質問されたっけな?」
とすっかり忘れてしまっていた私だったが、メッセンジャーを遡ってみたら、確かに最初のやり取りの中にその「問い」はあった。
その「問い」は「ナイショです」ということらしいので、ここで公開することはしないが、我ながらよく考えたものだ、と見返して思う。
「真実味がある」
という返信がその後に続いていたので、幡野さん的にはOKだったのだろう。幡野さんの問いに対しては反論する形だったのだが。

古賀さんが「幡野さんと出会って1年、でももっと昔からの知り合いのような気がする」としきりにおっしゃるので、私もメッセンジャーのその問答の日時を確かめてみたら、約1年半前だった。もうそんなになるのか。
この1年半で私の考えもだいぶ変わった。幡野さんとの出会いは自分の「生きること」への考えを大きく変えたと思う。
でも、この「問い」についての私の答えはやっぱり今でも変わらない。幡野さんの考えは変わったのだろうか?今日聞きそびれてしまったので、次に会うときには聞いてみたい。

「次に会うとき」
どうやら8月に、次は幡野さんと私とで対談イベントがあるらしい。
まだ細かい日時も場所も決まっていないが、8月中ということだけが決まっている。
今度は、私の著書『がんを抱えて、自分らしく生きたい』の出版記念イベントだ。幡野さんと公式に対談するのはこれで3回目?くらいだと思うのだが、今度はどんな話をしようか今から楽しみだ。

そういえば、今回の登壇者である糸井さんと古賀さんに、この本を手渡しすることができた。
対談の中で、幡野さんが最初に糸井さんに見せた原稿はまるで「カルピスの原液みたいだった」と言っていた。とても素晴らしい内容なのだが、濃すぎて、多くの人には届かないと感じたのだと。そこで古賀さんがライターとして入って、その「カルピスの原液」を、どう飲みやすい形にして届けるのか考え抜いてできた本が、『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために』なんだという。カルピスウォーターか、読んだ後の爽快感からすればカルピスソーダというところか。その努力と多くの人たちの連携があったからこそ、この本はたくさんの人たちに読んでもらえているのだと。

その定義で言えば、私の本は「カルピスの原液」どころではない。
工場から出荷される前のタンクからしぼりたて、みたいな状態なのが私の本だ。それを狙って出しているのだから当たり前なのだが。
だから私の本は、一部の人には「強すぎる」と感じられるかもしれない。でも、私は読んでくださる人に、この原液を好きなように割って飲んでほしいと願った。この本を通じて(というか本に出てくる患者さんの生の声を通じて)、読者と対話をしたかった(私とではなく本の言葉とね)。それが誰にとっても良い形なのかどうかはわからない。
糸井さんや古賀さん、そして幡野さんがどのような印象を持たれるのか、とても興味がある。これも次に会った時に聞いてみたいことだ。
これで私にも、明日も生きる自分との約束ができた。

(この写真のみ幡野さん撮影)

最後にちょっと追記。
今回の対談では「現在を生きること、過去にとらわれず、未来を憂えず、現在を取り戻したことで、今はとても生きやすくなった」ということがしきりに語られていた。
その前段で、宗教者に対して盛大なdisりをしていた一方で、実はここってすごく宗教的な話をしている。日本人の源的心象にある禅的思想とでもいうか、そこにすんなり入っていく方法で、とても大切なことを伝えているなと感じた。これは確かに、高僧の説法を聞くよりも、よほど宗教的思想に依って生きられるようになるかもなと感じた。

(ここから下は追記②で有料記事になります。今回の対談イベント中に感じた、ちょっとした違和感のお話です)

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