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変わるもの、変わらないもの。

東京は、ぬるい。

「寒くなりましたね」なんて言われて、僕も「本当にそうですね」なんて返していたけど、北海道から帰ってきて吸い込んだ空気は、少し春の匂いを帯びていて、ぬるかった。

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釧路には同窓会のために帰った。
夏に帰ることはあっても、冬の釧路は久しぶりだった。

釧路の冬は、荒涼とした風の世界だ。
雪は、あまりない。少し雪が積もったとしても、地嵐に巻き上げられて下から雪が降ってくるなんてことも珍しくなかった。
その空気は、皮膚を刺すように痛い。
でも、大きく吸い込んだその匂いは、清々しく懐かしかった。

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ふと、海が見たくなった。

子どものころから、嫌なことがあると何度も通っていた益浦の海。
海は青く美しいもの、と内地の人たちは思うのだろうけど、
釧路の海は、鈍色に重く、時に狂ったように岩を打ちつける北の海だ。
その荒々しさも、子どもの自分からは、強く、そして美しかった。

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久しぶりに会いに行った正月の海は穏やかで、僕の記憶にあったものとはちょと違っていたけれど、深い青緑の波と汐の香りは、昔と何も変わっていない。

砂浜は、固い。凍っているのだ。
気づかないと足を滑らせる。砂で滑って転ぶなんて考えられないことだろう。そんなことも、すっかり忘れていた。

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別の浜に行くと、そこには昆布が大量に打ち上げられていた。
釧路は長昆布漁が盛んな町だ。ダシに使う昆布ではなく、食べる昆布。
秋頃から育ち始め、実際に漁があるのは6月以降の夏なので、この昆布たちは波が高いときに、海底から切れて打ち上げられたのかもしれない。

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しばらく海を眺め、そして手を合わせてその場を去る。
時間があったので、そのまま子どもの頃の足跡を歩いてみようと思った。

廃墟が、多い。
人が住んでいた家も、子どもの頃にお菓子を買った店も、果ては父親が通っていた小学校まで廃墟になっていた。

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僕が通っていた小学校は、辛うじて閉校を免れていた。
校庭に出てみると昔と変わらず、木枠が張られている。
雪が降ったらそれを生徒が総出で踏み固めて、そのうえから先生がホースで水を撒く。そして一晩経てば、天然のスケートリンクができるのだ。
今はまだ、雪がないから木枠だけだけど、この文化は変わらないんだな。
スケート靴を履くために置かれたリンク脇のベンチも30年前とまったく同じでおかしかった。
でも、校庭の端まで来た時、そこに草が生えているのを見て、
「やっぱり30年前とは違うのだ」
と寂しい気持ちになった。
僕らが小学生の頃は、校庭に草が生える余裕なんかないくらい、子どもたちが校庭の隅々まで使って遊んでいた。もう、この校庭も子供たちには広すぎるのだ。
後で親に聞いたら、僕らの頃は一学年120人いた生徒も、今は20人くらいしかいないらしい。
それでもリンクに水を撒き続ける先生の姿を思うと、ちょっと胸の奥が苦しくなった。

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子どもの頃の遊び場はどうなっているだろう、と見に行った公園は、今も変わらずにそこにあった。
僕らが「ロケット公園」と呼んでいたその場所が、新学園台ナントカ公園という正式名称だということは、30年たってから初めて知った。でも、そのシンボルだったロケットが、まだそこにあったから、僕の中ではそれでいい。
あのロケットのてっぺんから友人が落ちて、僕の上に降ってきたっけな、とか、その当時好きだった女の子と、小山を走り回って遊んだっけな、なんてことを朧げに思い出す。
そこに並ぶ遊具たちと一緒で、錆がついてしまった記憶の奥の奥の話。

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釧路に帰ってきたら行きたかったもう一つの場所が、春採湖に面したアイヌの遺跡、チャランケチャシ。
真っ白に凍った湖面に突き出た小丘に、アイヌが構えた砦・神域。
その昔にアイヌの族長たちが、この丘に立って同じ風景を眺めていたのだ。
その連綿と続く人の時間は、変わらない。

一方で、湖に突き出た桟橋は、大きく歪み、僕が子どもの頃とはすっかり姿を変えていた。

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かつては、湖にボートを浮かべるための船着き場だったこの桟橋。
高校から近いところにある湖のため、若い男女がよく二人でボートを漕いでるのを憧れに思っていた。その憧れが現実になることもなく、すっかり朽ち、今は残骸をさらしている。

グググ・・・トントントン・・・

結氷した湖が鳴く。
これも、子どもの頃には気づかなかった音。
そして何百年も繰り返されてきた音なのだろう。

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夕方になって、もう一度海に会いに行った。
これも大人になってから知ったことだが、釧路はバリ、マニラと並んで「世界三大夕日」のまちらしい。しかも50年以上前から。
この美しさも、きっとこれからも変わらない。変わらないでいてほしい。

帰り道では、エゾシカにも会った。
まちの中で普通に、キツネやシカに会えるというのも、昔から変わらない釧路の風景だ。

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人の営みは変わっていく。変わっていきながら続いていく。
続くことをやめ、そして朽ちていくものもある。
その一方で、変わらないものもある。
自然はもっと大きな時間の中でしか変わらないし、文化も変わらないものは変わらない。

変わるものと、変わらないもの。
その交錯の一瞬一瞬がある。今ここにしかない重なりは、明日にはもう姿を変えていく。
友人との出会いも一瞬だ。過去に何があったとしても、その記憶は上書きされて変わっていく。
「またね」
と、手を振りながら僕らは次にいつ会えるかもわからないことを知っている。そして次に会う時の僕らは、高校時代の僕らでも、今の僕らでもないことも。
海とも、川とも、この荒涼とした大地とも、次に会えるのはいつになるだろう。その時僕はまた、この空気の匂いを思い出せるだろうか。

このまちは僕の変わらぬ故郷だ。
蓮の花のように凍てついた川面にも「またね」と手を振り、僕はまた、あのぬるい東京へ帰っていく。

そしてこの文章を紀行のように投稿できる僕も、もうすっかりあのぬるい空気の住人になってしまったのだ。

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