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ネガティブケイパビリティって曖昧さに耐えることだけど、それを曖昧にしておくことがまず難しい。

僕は最近精神科や緩和ケアの領域でよく言われている「ネガティブケイパビリティ」(事実や理由を性急に求めず、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいられる能力)を知っていても良いと思うのですが、自分の仕事に採用することを否定しています。医療に関わるなら何か役に立つことを考え続けなくてはなりません。
「どうせ何をしてもどうにもならない、だから最初から『ネガティブケイパビリティ』耐える力を蓄える」というこの考えはある種の麻薬です。何もしないことを、何もできないことを肯定しますし、またこのような考えは、能力の低い医師の不勉強と訓練不足を肯定してしまいます。

 緩和ケア医の新城拓也医師が、ご自身のブログでこのように書かれていました。
 僕自身はネガティブケイパビリティ(Negative Capability:NC)の専門家、というわけではないし、最近の論文などで「どうせ何をしてもどうにもならないから・・・」といったような考え方が主流になっているのだとしたら勉強不足なのでしょう。
 ただ少なくとも、僕自身はNCについて「『分かろう』として安定状態になりたい脳の働きに対抗して、答えの出にくい問題を宙ぶらりんのままとし、その状態に耐える力」だと思っています。その意味で「何もしない、何もできないことを肯定する」はNCとは言えないのではないかと。
「何もしないことを、する」は緩和ケアで用いる手段として重要なことではありますが、それはあくまでも「問題の特定の解決法を示している」という意味で、「曖昧さに耐える」とは逆でしょう。

 僕はNCがあるからこそ、答えのない苦しみに苛まれる患者の傍らで粘り、最後まで何か役に立つ方法を探し続けていけるのではないかと考えています。
「答えは無いんだ」という「答え」に容易に飛びついてしまうような医療者は、そもそもNCという考え方に至らないのではないかとも思います。

※ちなみに僕自身は研修医時代から新城医師に私淑しており、今でも尊敬する緩和ケア医のひとりです。新城医師の診療も実際に拝見したことがありますが、その内容はむしろ僕に「これがNCというものだ」を体現して見せてくれた最初と認識しています。

(以下、マガジン購読者限定記事では、実際のNCの例についてもう少し詳しくお話しします)

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