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ダクラク省でおきた暴動事件とその後

 6月11日、ベトナム中部高原ダクラク省の2つの村の役場が武装集団に襲われ、村役場の幹部、警察官、民間人など9名が殺害され、2名が受傷する事件が発生した。

 村は封鎖され、現場の状況もわからない状態が続いた。その後70〜80名が逮捕されたという。

 公表された逮捕者名は皆ダクラク省に住む少数民族の人たちの名前だった。

 この地域ではエデ族など少数民族が1964年被制圧諸民族闘争統一戦線(FULRO)を結成し、南ベトナム政府に対して自治独立闘争を開始した。南ベトナム政権と和解した時期、逆に解放戦線に協力した勢力もあるなど複雑な経過をたどる。

 中部高原はベトナムの多数民族であるキン族は希薄で、長らくカンボジアやチャンパが宗主権を主張していた地域であり、グエン朝が19世紀に自領としたばかりの新しい領土だ。

 南北統一後には中部高原各省には「新経済区」が設定され、キン族が入植すると、FULROは再び自治独立闘争を開始した。結局自治は勝ち取れず、カンボジアに亡命、92年には解散した。一部は米国に移住した。

 ベトナム政府は米国に拠点のあるテロ組織が背景にあると表明している。武装集団はその組織から金銭と海外移住を仄めかされ、テロを実行したと伝える。

 今回の事件は現地の土地収用問題にあると指摘するブロガーたちが摘発され、処罰されていることが気になる。「通り抜け無用で通り抜けが知れ」とはこのことかもしれない。

日本ベトナム友好協会東京都連ニュース「ハノイからの手紙」2023年7月号掲載


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