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 茨城県取手市には国の重要指定文化財が一つある。知らなかったなぁ!
早速行ってみた。県指定文化財一つも訪った。ここに記録しておきたい。

龍禅寺三仏堂

 天台宗のお寺。米井山(べいせいざん)無量寿院と号す。924年あるいは939年の創建と伝えられる。裳階(もこし)が左右と背面にある。裳階とは「本来の屋根の下につけた差しかけの屋根」とか「仏堂・仏塔などの軒下壁面に取り付けた庇(ひさし)状の構造物」などと説明されるもので、屋根の下に屋根があるという感じのもの。これが三方につくという建物は他に例を見ないとのことで、創建の古さと、この三方裳階が稀なこととから国指定重要文化財に指定されているかと思われる。

 下の写真は正面から撮ったもの。屋根は寄棟造りで茅葺き、その存在感の大きさも特筆すべき特徴だろう。そして左右に裳階を持つ構造物が見える。

 下の写真は左奥から振り返って撮影したもの。左側と背面が写っている。裳階がはっきりとわかる。その下は雨戸状になっているようだ。全体が高床式になっているのも古い時代の建物らしい特徴だなと感じる。現在のものは16世紀の建立であり、昭和60~61年に解体修理が行われているとのこと。

 中は拝めなかったのでそれは残念。三体の仏像があるそうで、そこから三仏堂の名前が付いたということ。

 見事な金木犀(キンモクセイ)が境内にあるのも特筆したい。とても芳しい香りが漂う。キンモクセイの香りって、桂花陳酒でしか知らなかった悪い大人な私、これが本当の香りか…。たまたま良い季節に訪れることができたものだ。境内には他にも立派なモチノキなど、古寺ならではの風情がある。
(金木犀は真ん中。山吹色の花を付けている。15メートルはありそうな高木)

 歴史的に、創建の頃は、まさに平将門が茨城県南部から千葉県にかけて隆盛を誇り、乱を起こした頃。ここ龍禅寺三仏堂も平将門伝説が数多く伝わっているという。そもそも龍禅寺がある地名「米ノ井」、龍禅寺の号「米井山」は、平将門が三仏堂を参詣した折に三仏堂前にあった井戸から米が吹き出したからとか。また将門が三仏堂で生まれたという伝説もある。近隣の地名にも様々に平将門の痕跡を止めている。彼が地元の英傑として親しまれていることをつくづく感じたことであった。

鬼作左の墓

 県指定文化財「本多作左衛門重次墳墓」。松平=徳川家三代(徳川家康の祖父松平清康から、父松平広忠、徳川家康)に仕え「鬼作左」と呼ばれた豪傑が眠っている。彼は簡潔明瞭な手紙として有名な

一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ

を書いた人でもある。これは戦場から妻に宛てた手紙で、お仙は娘。「鬼」と呼ばれたぐらいの豪傑ではあるが、戦場から奥さんに手紙を書き、「一筆啓上」という丁寧な出だし、小さい娘を泣かせないようにしてほしいという優しさ、などが胸を打つ。単なる武勇を誇る猪侍では無い証拠に、三河で奉行を務めた際には、公平で思いやり溢れる施政を行ったため、三河三奉行に数えられた人でもある。

 主君にも直言した武将と伝えられるが、それゆえか豊臣秀吉の勘気に触れたため、徳川家康から取手市井野での蟄居を命じられる。1596年、そのままこの地で亡くなった。享年68歳。

まとめ

・茨城県取手市には国の指定文化財が一つある
・建築の様式としても裳階が三方にあり、興味深い
・平将門との関連も興深し
・キンモクセイの季節に行くと素敵な香りとも出逢える
・「日本一短い手紙」で有名な鬼作左の墓もある

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