鹿児島市街散歩旅、西郷さんを中心に
出張で来た鹿児島、3日間にわたった業務が16時に終わった。7月も下旬、まだまだ日は長い。市街を巡ることとした。
鶴丸城(鹿児島城)
まずは鶴丸城(鹿児島城)へ。御楼門を入ってすぐにあった西南戦争時の弾痕が無数に残る城壁に胸が痛む。
城跡にある鹿児島県歴史・美術センター黎明館へ。常設展示室にて薩摩・鹿児島の古代から現代に至る展示をじっくり拝見。城跡には篤姫の銅像もあり。
西郷巡りスタート、終焉の地から遡る
さてここから、西郷巡りスタート。まずは終焉の地へ。城跡から600mぐらい。銃弾2発に腰を打ち抜かれた末にこの場所で「晋どん、もうここらでよか」と発し、別府晋介の介錯により死した地だ。
西郷は皇居がある東を向いて死んだと伝わるが、この地で東の方を見ると、眼前には桜島、そして視界の右側に城山のこんもりした木々が目に入ることは間違いない。西郷は、幼少期から馴染みの桜島と城山を観ながら亡くなったのだな…と心に刻んだ。
続いて西郷洞窟
坂道を上がっていく。途中には「敬天愛人」の碑もあった。谷間(たにあい)を走る電車のトンネルに掲げられた碑。如何に西郷が地元の方に大事に思われているかが偲ばれる。
ほどなく西郷洞窟に到着。薩摩軍300対政府軍4万という絶望的な戦いで最後の司令部を置いていた場所。
こんな小さな洞窟に大西郷がいたのだな…。そしてここを出てすぐに銃弾が彼を貫いたのだった。
城山を登る
そこからえっちらおっちら城山を登る。隣をタクシーや自家用車がどんどん行くが、多数の戦死者が出た山を文明の利器で登る気がしなくて。難儀な性格だ。
しかしハアハア言いながらようやくたどり着いた頂上から観た景色は最高だった。ドーンと目の前に広がる桜島と錦江湾のパノラマ!
いやあ、がんばって登ってきたのが報われた思い。数日この街にいて、桜島はいつも頭に笠(雲?噴煙?)をかぶっていたが、昨日だけはそれもなく。ありがたいことだった。
大西郷
ホテルに戻る道中には西郷の巨大な銅像。いかに彼が人々に大事に思われていたかを物語る大きさであった。5m以上あるとのこと。まさに大西郷にふさわしい威容。
3~4時間の散歩旅だったが、初めて来た鹿児島で、往時に思いを馳せられた思い出深い旅となった。
つけたり:西郷を巡って過去に書いた文
拙著「ことばがこどもの未来をつくる~谷川雁の教育活動から萌え出でしもの」第3章に、奄美時代の西郷を描いた文書を置いています。
題は「奄美へ -島尾敏雄生誕一〇〇年記念祭 参加記」。その名の通り、島尾敏雄を主題にした文章ですが、そのために赴いた奄美の諸物について書いています。特に龍郷における西郷については紙幅を取って描きました。ご興味ある方はご高覧下さると幸いです。
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