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スタートは去年と同じ

昨日投稿した記事で「平穏な毎日」を送っていたから、書くことがない、というようなことを書いたが、それは嘘である。
ここ2週間、インフルエンザと腰痛で悩まされていた。

今期2度目の次男の発熱は、次男、三男がインフルエンザの流行でそれぞれ学級閉鎖をしている時だった。彼らは私の実家で過ごしていたので、そのままみてもらうことはできるのだが、病院受診だけは保護者がしなさい、という実家の方針に従い、いかに人に迷惑をかけないタイミングで休みをとるか、そしてそのタイミングで受診できるように病院予約をとるかで、かなりの労力を費やした。

職場の直属の上司であり、私の異性としての現在最も大きな存在である「先生」にも、子どもの病状と私の仕事の段取りの変更を随時連絡をとっていたため、普段よりLINEでのやりとりは増えた。しかし、先生との直接的な接触は厳禁、私としては看病と、その間にも進めなくてはいけない仕事に追われて、それどころではなかった。

というわけで、先生と何もない=「平穏な毎日」という表現になった。

その後、やはり家庭内感染は避けられず、次男発症から2日後には長男、三男も発熱、みなし陽性となった。それぞれの通う学校や習い事に連絡を取ったり、日程変更をしたり、さらに長男が発熱寸前に参加していたスポーツイベントに一緒にいた友達や保護者への連絡と謝罪等、単純に看病、という仕事以外の細々としたことがしんどかった。
もちろん、子育てに強い実家がある身で、愚痴を言える立場ではないのだが、さらにその実家も含め、家族への対応で疲れた。あわせて、やりたい仕事を進められない焦りでイライラしていた。

こんな時、夫がいてくれたら……
と、ふと思ってしまったが、今、私が思い描いた「夫」は実在の別居中の夫ではなく、他人の家庭からもれ聞こえてくる、よくできた「夫」像であったことに気づく。

昨年、コロナに初感染し、私と三兄弟がかかったときのことを思い出す。発熱してしんどい思いをしている三男と私に、揚げ物満載の夕飯を届けにきた夫。私たちが一番苦しかった時に、家にいるとうつるから、それに何も役に立たないから、と遊びに行っていた夫。私たちが通常生活に入った後の数日間、会社側が夫の感染を予測して勤務を取り消していたのだが、結局その間、夫は家のことをするわけでもなく、さらに遊びに行く日々が延長されただけだった(収入はもちろん減っていた)。

1人で子育てするって、こういうことだよ、
と、自分に言い聞かせつつ、
もし夫がここにいたら、さらにイライラしてたんじゃない?
と自分に問いかけていた。

そして、インフルエンザのためのマスク期間を終えた翌日、長男の親友のお母さんから誘われた音楽イベントに家族で参加した(田舎ではめずらしかったから)。病み上がりだったから、ではないと思うのだが、急に冷え込んだ日で、2時間ばかり音楽にあわせて息子たちと動き回っていたら、腰を痛めていた。

腰痛、それはおそらく自分の筋力の低下だ。自分にがっかりした。
そして、またフルマラソンに向けた練習ができないことが悲しかった。
せっかくこのnoteで走り始めた、と宣言したにも関わらず、そこから数日で走れなくなってしまったのだ。今も腰の違和感はまだあり、咳をするのも怖い。
去年より1か月以上早く練習を始めて、今回は楽に走りたい!と考えていたが、この調子では、去年と同じ、あるいは去年よりも遅い、練習スタートとなりそうだ。

※記事にある写真は、もちろん今の私にとっては夢、である。

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