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過去のレコ評(2017-1)

(2017年「SOUND DESIGNER」誌に寄稿)

「半世紀 No.5」ユニコーン
Ki/oon Music
KSCL-2863

思いつきと計算ずくの違いとは一体なんだろう。「仲間のお祝い」というテーマで曲を作る、それが今回のアルバム全体のゴールだ。しかしどう制作を進めるか。考えるべきことは沢山ある。曲調は?歌詞は?楽器編成は?似た曲にしないためには?そもそも誰がどういう担当で作るのか?これらを計算ずくで進めることは不可能ではない。しかし彼らはそういう方法論を取らない。少なくとも取っているようには見えない。思いつきで進めているだけにも見える。1曲目は派手なワンコード四つ打ち+ベートーベンだし、2曲目は演歌的なアカペラなのだから。それを楽しんでいる。結果、ファンも喜ぶような楽曲で埋め尽くされている。だとすると、思いつきで進めるという方法論自体が計算ずくの結果なのではないだろうか。計算ずくの勢いのことを、人は「思いつき」と言うのではないだろうか。

「LIFE IS A MIRACLE」黒猫チェルシー
Sony Music Records
SRCL-9322

4人組バンドのメンバー全てが作曲に携わるというのは、そう多いことではない。クレジットを見ながら全曲を聴いてみた。ボーカル渡辺の曲はアコギで弾き語れそうだし、ドラム岡本の曲はドライなグルーブがあり、ギター澤の曲はバランスがとれている。そういう意味で一番興味深いのはベース宮田の楽曲だ。ベースの動きが作曲時点で決まっているのは当然で、陽気なノリがある。ただコード進行がギタリストからすると素直ではない。かと言ってひねりすぎて気持ち悪いわけでもないという不思議なバランス。またプロヂューサーの湯浅が編曲に関わっていない曲を、他のものと聴き比べるのも面白い。彼はアニソンの編曲なども素晴らしいが、ロックバンドの丁寧な仕事も秀逸だ。

「➗(ディバイド)」エド・シーラン
ワーナーミュージック・ジャパン
WPCR-17707

ギターを弾いて歌う白人シンガーソングライター(=SSW)の歴史は長い。アメリカではジェームステイラー、遡ればボブディラン、イギリスではデビッドボウイなどが思い浮かぶ。そういう意味では「やり尽くされた」とも言え、新鮮な新曲を書くのは難しい。80年代、ボウイが更なるステップアップのためにとった手段はナイルロジャースにプロデュースを頼むことだった。前作でファレルにプロデュースを依頼したエドシーランとも通じる手法だろう。単に強い曲を書くだけではなく、纏うべき音、アレンジが時代を反映していなければならない。今作は、ヒップホップ・EDM・トロピカルハウスなどを通過したらこうなるという、白人SSWからのプレゼンテーションだ。アーティストと音楽ジャンルは、もはや一対一対応ではない。

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