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妹が大人になったと感じた瞬間のこと

9つ歳の離れた妹がいる。目に入れても痛くないほどかわいがっている。
ミルクを飲ませてゲップをさせたり、おむつを替えたりお風呂に入れたりひと通りの子育て体験は妹で済ませたようなものだ。
ついでにいうとわたしより姉のほうがさらに歳が離れているのでかわいがっている。

昔から妹は歳が離れているだけで無条件にかわいいものだと思っているけど、妹が成長してからは行動を制限されたりすることもあり、多少うっとうしく感じることもあった。

実家を出てからはたまに電話をしたりすると本当にかわいくて、会えないからかかわいさに拍車がかかり「こんなにかわいいなんて…うちの妹はひょっとして天使?!」と感じるようになった。
事実めちゃくちゃいい子でやさしくてよくできた子である。うちの妹マジ天使エピソードには事欠かない。

いろんな相談に乗ったり乗ってもらったり、励ましたり励まされたりしていて、あんなに小さな子どもだったのにひとりの人間になってしまったんだなと感じることも多くなった。それを初めて感じたのは妹が17歳のときだ。

そのころ妹と会うのは1年に1回程度で、会えば必ず抱きしめていた。それこそ小さい子どもにするように。大きくなるにつれて「またするの?」というような、ちょっと照れたような表情をするようになっているけれど今も毎回やっている。

けど、17歳になった妹を抱きしめたとき、その骨格がもう小さな子どもではないのを実感した。そもそも妹はとても細い。足が長くてスタイルがいい、現代っ子特有のひょろっとした体格をしている。
16歳のころはそれでも子どもという感触だった。17歳の妹は、大人と変わりない骨格になっていた。あのときがいちばん、もうこの子は小さな子どもではなくなったんだなと感じた。あのときの、なんともいえないさみしさと切なさ。あれはきっと忘れられない。

わたしは創作物における、少年少女が大人になる瞬間というものを愛している。肉体的なものではなく、精神的なものの話だ。
一瞬しかない、なにかを得る前と得たあと。
生身の人間だとまたたく間に過去になってしまうような、その刹那。
その瞬間が過ぎ去ってしまうのが惜しくて、創作物として何度も何度も摂取してしまうのかもしれない。

だけど妹を抱きしめたときに感じたあのさみしさや切なさもまた、愛おしく尊いものだと思った。肉体にも、ああして大人になる瞬間が訪れるのだということを知った。

9つ歳の離れた妹を育てる手伝いをしたことで擬似的に子育てを経験したけれど、あくまで妹は妹であり、わたしは親ではない。もう妹はひとり暮らしをして、成人して、就職もしている。
頻繁に更新されるインスタのストーリーでは、毎日仕事や彼氏とのデートで忙しそうにしている。

「いつまでもかわいいままでいてね」なんて傲慢を押し付けても、笑って「うん、わかった」と言ってくれていた妹は天使じゃなくて人間のおとなになってしまったけれど、相変わらずかわいいことには変わりない。

世界から祝福されるような、しあわせに満ちた日々をこれからも送ってほしいと姉は願っています。

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