好きと嫌いの理由を考えるようになったきっかけの話

もしかしたらわたしは他人を説得しながら生きているのかもしれない…。と思ったきっかけは特になかった。なんか気づきみたいな、天啓みたいな感じでぱっと頭に思い浮かんだ。

強いて言えばこのnoteを書いたときに思ったかもしれない。

わたしはとにかく好きなものの、なにが好きなのかということをよく考えながら生きている。「単純に好き」というだけではなにかが弱い。なぜそれが好きなのか、なぜそれを好きだと思うのか。同時に、嫌いなものや苦手なものに対してもなぜ嫌いなのか、なぜ苦手だと思うのか、どうして受け入れられないのかということも考える。
基本的に考えていることを言語化するのが楽しいと思う性質であるのは気づいている。

いろいろと考えて行き当たったのは、プロ野球にハマった学生時代のことだった。
女子高生がプロ野球が好き、しかも縁もゆかりもない福岡ソフトバンクホークスのファン。福岡の地でホークスファンであることはなんにもめずらしいことではないようだが(うらやましい!)、わたしの地元ではわりとめずらしいことだった。

当時、土日は飲食店でバイトをしていたのだが休憩時間になると店で取っている中日スポーツとスポーツ報知を読みながらまかないを食べていた。数日前の分もチェックし、いい写真や記事があったら持ち帰らせてもらい切り抜いてノートに貼ったりもしていた。
厨房の人たちは関西から来ていたこともあり、阪神ファンが多かった。そしてそんなわたしを見て「おっさんやな(笑)」と笑っていた。これはなにもこのバイト先だけでなく、その後も様々なところでプロ野球が好きなことで「おっさん」と言われた。

わたしはこれが気に食わなかった。

もしもわたしにプロ野球以外の趣味がなければ、そう言われることを受け入れて「そうなんです~おっさんなんです女捨ててます~」みたいな態度をとったかもしれない。

しかし当時からわたしはAngelic Prettyのお洋服を愛するロリィタだった。ロリィタが「おっさん」呼ばわりを受け入れる訳にはいかない。当時はかなり「ロリィタとは精神、高潔な魂の在り方がロリィタである」みたいなことを信じていたので、余計に。(嶽本野ばらの影響です)ちなみに、未だロリィタとプロ野球が好きな人って出会ったことがない。

わたしがプロ野球にハマったきっかけは、和田毅の顔がかっこよかった、超絶好みだったという理由にほかならない。しかしだからといって、「なんで野球好きなの?」と聞かれたときに「和田毅がかっこいいから」と答えるだけでは「これだから女はミーハーなだけなんだよな」とか侮られてしまうのだった。これもさらに気に食わなかった。

プロ野球はおじさんの娯楽。女はただ顔のいい選手にキャーキャー言ってるだけのミーハーでなんにもわかってない。みたいな偏見、風潮。
これはこの15年でかなり変わったと思う。球団側も女性やファミリー層をどんどん取り込もうとしているし、プロ野球はおっさんの娯楽というイメージは当時よりかなり払拭されいる。ここ最近は特におっさんだとか言われることは特にない。

おっさんとレッテルを貼られた上に「これだから女はわかってない」みたいな扱いを受けることは許せなくて、野球を真面目に見ていろいろと覚えていった。だから「なんで野球が好きなの?」と聞かれたときに明確な答えを出してやりたいと思い、その理由を考えたのだった。要するに負けず嫌い。

正直なところ、なぜプロ野球が好きなのかという理由に対しての明確な答えは今も出ていない。当時はいろんな喜怒哀楽を感じられるからと言っていた気がする。
今いちばん近い答えとしては、いろんな思い出を抱えられるところかなと思う。球団も選手も一つとして同じシーズン、同じ成績はなく、毎年約140試合分のドラマがある。そのドラマは試合ごとでもあるし、選手ごとでもある。こんなに思い出貯金が貯まるジャンル、そうそうない。

そうして理由を考えるようになったことで、それ以降も好きになったもののなにが好きなのかという話を頻繁にするようになった。
今ではなぜ自カプは自カプになるのかという話や、なぜ自カプのこのシチュエーションは地雷なのか、という話をよく周りにする。
わたしの自慢、というかこれは人に誇れるのではないかということは、他人にそういう話をしたときに「わからない」と言われたことがないことだ。

べつに言い負かしたいとか、論破したいとかではない。ただわたしはこういう理由でこう思うという論拠を示したい。そういうときに「なんとなく」では弱いと思ってしまう。

なんとなく好き、なんとなく気に食わない。元はそこから始まるけれど、どうしてもなぜなのかということを掘り下げてしまう。

わたしは9年ほどハマっている自カプに対して一時期解釈違いの出現にかなり憤っていたが、解釈違いや地雷シチュエーションがあることによって自分が自カプのなにを大切にしていたのかということを、改めて洗い出し研鑽することができたのはよかったと思っている。

好きになることに理由はいらないし、好きは好きでいいと思う。だけど自分を納得させるため、自分はこれからも自分の好きや嫌いを掘り下げていくだろう。

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