唐揚げが食べたすぎる、または、死に至る病

はじまりは、何だったのだろう?
運命の歯車は、いつまわりだしたのか?

時の流れのはるかな底から
その答えをひろいあげるのは、
今となっては不可能にちかい……

唐揚げが食べたすぎる。

と言っても最近食べてないからとかではない。
なぜなら昨日も唐揚げを食べたからだ。

記憶の中にあるあの「最高の唐揚げ」それをもう一度食べたいのである。

2ヶ月ほど前からだろうか、ふと思い出した唐揚げの味。
あれはどこの店で食べたものだったろう。

以降、唐揚げ定食がある店があれば唐揚げ定食を食べ、ラーメン屋に唐揚げライスセットがあればセットを食べ、しかしてどれもあの味ではなく、翌日にはまた唐揚げが食べたくなってしまう日々を繰り返している。
(ちなみにラーメン屋の唐揚げは往々にしてしょっぱいので血圧が気になってしまう。)

と、こんな話を今日の会議終わりの雑談で同僚にした。

同僚は一言。
「全然その悩みが理解できない」

その言葉を聞いて、自分はいつのまにか「人に永遠に自分の悩みをわかってもらえない地獄」に落ちてしまっていたのだと気づいた。

まぁ、揚げ物でボリューム水増ししとけばええやろ的な安易な居酒屋ランチ、にもかかわらず大盛りご飯とともにおいしそうにそれをたいらげるふくよかな体型(婉曲表現)のサラリーマン、そんな光景を見るたびぼくはそれらを軽蔑していた。その罰(バチ)があたったのかもしれない。

そういえばこの同僚、別に働かなくてもいいのに働いている。
(うちの会社にはたまにそういう人がいる、もはや自分のためとかではなく趣味とか業界全体のためとかに働いているわけだ。)

そんな人には悩みがないだろうと思っていたが、以前「それはそれで悩みがある」というようなことを言っていたのを思い出した。人はみな、それぞれの「人に永遠に自分の悩みをわかってもらえない地獄」にいるのかもしれない。

唐揚げから始まってそんな哲学的なことを考えながら、腹が減ったのでコンビニに行き、唐揚げ弁当を我慢してねぎ豚塩カルビ弁当を選び、健康のためにカットレタスととろろと一緒に食べた。

大丈夫。
俺はまだ大丈夫だ。

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