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エロスの画家・高橋秀の物語(10)【アートのさんぽ】#19

1960年代からイタリアに渡って国際的に活躍した「エロスの画家」高橋秀(1930年生)。1969年にローマで個展を開催した。そこで幾何学的なアプローチをとりながら、エロティシズムのフォルムを強調していった。フォンタナの空間主義を離れ、独自の表現を確立していく。

 


 

1969年の高橋秀の幾何学的なアプローチ

 

 高橋秀は1969年2月、ローマのオベリスコ画廊で個展を開催した。

オベリスコ画廊は、ファッションのジャーナリスト、イレーネ・ブリンと夫のガスペロ・デル・コルソが1946年に開設した画廊で、1950年代から60年代にかけては、イタリアを代表する作家たちの展覧会をつぎつぎと開催したことで有名である。マッシモ・カンピーリやアフロ、ジュゼッペ・カポグロッシ、アルベルト・ブッリそしてフォンタナといったイタリア作家たちはもとより、マッタやマグリット、ヘンリー・ムーア、ロバート・ラウシェンバーグ、デビュッフェといった外国人作家の紹介にも力を入れていた。1967年から68年にかけてはジャコモ・バッラの回顧的な展覧会も開催している。

高橋は、この個展に《サルマチスの愛》をはじめ、《ヴィーナスの波がいとおしむ真珠》《いちに、いちに》《天の川に蘇えるジュノンの雫》《空間の両性具有者の子孫》などを出品した。


高橋秀《サルマチスの愛》1969年

カタログが準備され、そこにローマ大学教授のジュリオ・カルロ・アルガンが序文を寄せた。アルガンは、イタリア美術史の権威で、有名な『イタリア美術史』(1968年)の著者であり、後にローマ市長にもなった大物の美術評論家であった。

 アルガンが注目したのは、平面と立体の問題であった。高橋秀の作品は、単なる平面を超えているが、いわゆる立体作品でもなくその両者の間にあるとした。

 「ひとつの構造的なものの探求は、必然的にひとつの基本的な形式ではなく、いわば主要な構造でも、その他のものでもない。それは統合された客体でも、空間における対立でもなく、同時に客観的で空間的なひとつのフォルム、つまり客体―空間なのである」(Giulio Carlo Argan, Shu Takahashi, Galleria L’Obelisco, 1969)と。

アルガンの述べる「客観的で空間的なひとつのフォルム」というのは、従来であれば絵画空間におけるフォルムに留まっていたものが、「客観的で空間的な」フォルムとなって絵画から飛び出し、不定形のカンヴァス(シェイプト・カンヴァス)になっているとした。

当時、ローマの日本文化会館に在席していた井関正昭は、この個展の作品について、日本的な心象とイタリア的な空間の統合が見られると主張した。

「高橋秀の造形的な探求の基本は、いわゆるプライマリー・ストラクチャー〔*基本的な構造・色彩を求める観念的な芸術〕の探求とちがって、原色を配した色彩の輝きをもった、充実した統合に対する1つの縮図であるといえよう。つまり彼の色彩の造型、または造型的な彩色は、客体の本質や大きさにとどまらず、むしろ色彩帯に強度と深度とその持続の拡がりに対し、均衡のとれた計算を通して1つの統合に到達しているといっていい。

幾何学はこの場合それほど重要ではない。どちらかといえば彼のフォルムは、ピタゴラス的な幾何学と日本の紋章学に代表される幾何学的な色調の間にある」と。

そのうえで「最近大きな反響を得たローマ、オベリスコ画廊の個展の目録でアルガンがいっているように、この客体―空間の中に、高橋秀の日本的な心象とイタリアの空間に対する新しい解体を、そしてそこから生まれた1つの圧縮された統合を見ることができるだろう」(井関正昭『美術手帖』1969年6月)と述べる。

 井関は、高橋の造形的な探求が、充実した総合の域に達しつつあると指摘した。色彩とフォルム、幾何学的なアプローチと紋章学的な〔*象徴的な形態の探求の〕アプローチの間に、総合的な均衡をつくりつつあった。

高橋の場合の幾何学的なアプローチは、直線と曲線との組み合わせに色彩を加えた均衡を目指した。

《サルマチスの愛》を見ると、それは直線と曲線による幾何学的な構成のシェイプト・カンヴァスになっている。直方体に見える3面のうち、正面を向く1面の2辺が曲線に入れ替わったオレンジ色のフォルムで、他の2面は色違いの3本のストライプが走る組み合わせである。全体的には、オレンジ色など彩度の高い色面の構成が主役になっていて、エネルギッシュで躍動感をもっている。

この時期の絵具にも大きな変化が出ている。油彩をベースにしたミクト・メディアからアクリル絵具に代わり、さらにエナメル塗料を加えている。エナメル塗料は本来、絵画用ではなく、工業用に用いられるもので、その仕上がりもカラフルなスポーツカーのボディーのような光沢を放っている。

高橋は、幾何学的で工業的な仕上がりを目指しながらも、どこか曲線的でユーモラスなエッセンスを振り掛けて制作しようとしていた。

もうひとつの作品《ヴィーナスの波がいとおしむ真珠》に目を移すと、ここでは直線を一切使わず、曲線だけで構成され、色彩的にも青地に赤色のラインの2色だけを使っている。


高橋秀《ヴィーナスの波がいとおしむ真珠》1969年

この作品は、ボッティチェリの《ヴィーナスの誕生》における真珠貝に立つヴィーナスの風になびく長い髪、あるいは真珠貝が浮かぶ海の波を下敷きとしていることが容易にわかるフォルムをもつ。

なぜ高橋がボッティチェリを引用したかと言えば、それは《ヴィーナスの誕生》が日本人にもよく分かるイタリアを代表する名品であったからであろう。

幾何学的な抽象画でありながら冷徹でなく、ユーモラスで豊かな表情をもち、何かを語りかけてくるような物語性をもつ。

つまり、高橋がいつも心がけていたのは、有機的なものであり、生命の息吹であり、人間的なものであり、最も嫌ったのは、合理的でスマートな整合性をもつ表現であった。

芸術というのは、人に語りかけてくるような、人が元気になるような形や色でなくてはならず、また明日への活力になるようなものでなくてはならないと考えるようになっていたのである。

 

女性の肢体の連想

 

この時期、空間的な新しい試みと同時に、もうひとつの重要な要素もスタートしていた。

イギリスの国際的な美術雑誌『アート・インターナショナル』で評者R.C.ケネディーは、このもうひとつの芽について報告している。(R.C. Kenedy, Art International, April 4, 1969)

「高橋秀は、2つの異なったスタイルをもつ着色のミニマリストである。…彼は、三角形の底辺のジグザグ形にそった縞模様を刻み、氷のような彩度のピラミッド型の空を冠する。この立ち位置は、ノーランドやフランク・ステラから大きく隔たっているわけではないが、その仕掛けには個性が認められる。」

アメリカのケネス・ノーランドやフランク・ステラというハードエッジの作家たちとの比較で、その造形的な個性は充分に際立っていることを指摘した。

そしてケネディーは、エロティシズムの芽生えについて言及する。

高橋の「うねるような縞模様の配色における波のようなスリットは、卑猥に近い図のためらいだけを詳しく示す。並行するそれら2つは、合流し、お尻の部分で調和してヴォリューム感を表す。時に太ももを広げた単純な空間を表す。しかしこれら面白みのない構成物のなかでさえ、抽象的で反感覚的な調和の優れた使い方がある。」と。

ケネディーが見立てたように、高橋はこの時期からエロティシズムを意識した図像を取り入れている。例えば《いちに、いちに》は、床に置くタイプの平面的な作品で、立体的な作品に近い。その形状は、太ももからお尻にかけてのフォルムに類似していて、女性的な印象を与える。色彩も肉感的な暖色系の色を使い、エロティシズムを感じさせる。しかし、それ以上に人間のいとなみ、原初的な生命感が表われているということもできる。


高橋秀《いちに、いちに》1968年

このように高橋は、平面的絵画を越えて空間的な拡がりを見せ、われわれ生命体の根源であるエロティシズムの物語をとり入れるようになっていった。

 

エロティシズムのフォルム


もうひとつ、イタリアの雑誌『レスプレッソ』においても展覧会評が掲載された。

「高橋秀は1963年からローマに住む若い日本の画家で、最近ローマではじめての個展を開催した。…高橋は大きなパネルの抽象画を描く。そこに分割され純粋で鮮明な彩色が立ちあがり、幾何学的に明瞭となる。これらは反復にもとづいたリズムから生まれ、進化し、フォルムの思索家となる」と紹介した。

「集合した同じような型の木材の各パネルや、フォルミカやカンヴァスによる軽く膨らみをもった支持体が、このような発生に関わり、そこにその限界を示す。」

「これら作品のそれぞれは、そのフォルムの中に、理解するのにとても難しい意味論的な価値を擁している。それは、日本の詩を組み合わせた表意記号のようなもので、官能的なものと記号的な外観とを組み合わせたような2つの価値、2つの空間の統合であり、どんな文字によっても再現できないものである」

「純粋に古典的な均衡に、直線的な角や曲線が組み合わされて生まれ、エナメルで単色に塗られた接合部を前にして、高橋は、エロティックすぎる作品と思われないように、ひとつの低い声で伝えている」と。

高橋秀は、鮮やかな色面のパネルのパーツを組み合わせる幾何学的な抽象画を制作している。しかしそこに、無機的なフォルムではなく、官能的なフォルムをしのびこませ、エロティシズムを感じさせる表現を生みだしている。高橋は、コンセプチュアル(観念的)で冷たい幾何学的なフォルムではなく、さまざまなフォルムを徹底的に探求して、フォルムそのものを膨らませ、広げていこうという試みを続け、女性的なフォルムに近づけていく。

曲線的なフォルムが、生命を感じさせる有機的なフォルムとなり、それが女性の肢体を連想させるものとなる。フォルムの組合せという造形論的なテーマのなかに、意味論的なもの、情感的なものを持ち込んできたのである。

これは、イタリアに来てから開花した傾向で、マチエールへの執着を捨て去り、フォルムについて考える中で、自然にわき出てきたフォルムであった。この女性的なエロティシズムの表現は、この時期、何も高橋の専売特許ではなかった。

ポップアートのアレン・ジョーンズやパウル・ヴンダーリッッヒ、日本の池田満寿夫、吉原英雄などにも見られた。ジョーンズは、ハイヒールを履いた脚のふくらはぎのフォルムを強調し、ヴンダーリッヒは、シュルレアリスム系の暗いエロティシズムを表現し、池田満寿夫は、湿り気のある筆致で女性の局部などに焦点をあて、また吉原英雄は、ポップアート系の明るいエロティシズムを表現していた。

 参考文献:谷藤史彦『祭りばやしのなかで -評伝 高橋秀』水声社

#高橋秀 #イタリア #エロティシズム #幾何学的 #1969年


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