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名文引用箱

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読んだ本の中から名文を引用し箱の中に放り込んでゆきます。
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2014年6月の記事一覧

名文引用箱

《「久保木さん僕はほんとうは、今日はモーニングをきたいのです。晴の新任式ですからね。その代り、僕は、ね、ねおしをしてきました」》(小島信夫『佐野先生感傷日記』)

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《「あなた、子供だってもっとましよ。人造人間だってもっとましよ」「こ、こどもは、身が軽いよ、人造人間は、めしを食う心配がないよ、人造人間になりたいよ」》(小島信夫『汽車の中』)

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《馬が暴れ出せば、馬車曳きが止めてくれると思った。馬車曳きが暴れ出したら、誰が止めてくれるだろう。》(小島信夫『往還』)

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《絶対量が満足するには足りないことを不平に思うのではなく、誰かと較べて自分の方が僅かに少いと怒るのである。私はこれだけで十分ですと安穏に自足する度量の持ち主は絶対にいない。》(谷沢永一『人間通』)

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官兵衛はなるほど生涯、時代の点景にすぎなかったが、しかしその意味でえもいえぬおかしみを感じさせる点、街角で別れたあとも余韻ののこる感じの存在である。友人にもつなら、こういう男を持ちたい。(司馬遼太郎『播磨灘物語』あとがき)

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《秀吉という男の感覚にはたえず世間の人心という、海のように巨大で空のように変りやすい化物のようなものをとらえていた。》(司馬遼太郎『播磨灘物語』)

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《田舎の神学校生徒が、ラテン語の糞勉強をする。半時間ごとに女中部屋へ駆け込んで、眼を細くして女中たちをつついたり抓ったりする。女中たちはキャッキャッと笑う。それからまた本に向う。彼はこれを「気分爽快法」と名づけている。》(チェーホフ『チェーホフの手帖』)

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《ある大尉が、自分の娘に築城術を教えた。》(チェーホフ『チェーホフの手帖』)

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《物を考えるのはすべて頭脳であるとされるのは極端な迷信かもしれない。むしろ人間の感受性であることのほうが、割合としては大きいであろう。人によっては、感受性が日常知能の代用をし、そのほうが、頭脳で物事をとらえるより誤りがすくないということがありうる。》(司馬遼太郎『播磨灘物語』)

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《いい湯だが電線は窓の外に延び、別の家に入り込み、そこにもまた、紙とペンとコップがある。この際どこも同じと言いたい。》(福永信『コップとコッペパンとペン』)

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《理屈などというものは単独で存在するものでなく、感情の裏打ちがあってはじめて現実化する。というより、理屈など、感情によってときに白から黒へでも変化するものに相違ない。》(司馬遼太郎『播磨灘物語』)

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《官兵衛は、自分自身に対してつめたい男だった。これが官兵衛の生涯にふしぎな魅力をもたせる色調になっているが、ときにはかれの欠点にもなった。かれほど自分自身が見えた男はなく、反面、見えるだけに自分の寸法を知ってしまうところがあった。》(司馬遼太郎『播磨灘物語』)

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《そうだ、鞄だ! まだ小さな子供の時分から既に老いてしまった現在に至るまで、私の鞄はいつでも絶望的に重かった!》(磯﨑憲一郎『過去の話』)

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《文の成り立ちというやつは、考え方や振る舞いに大きな影響を及ぼすものだが、日本語の文では動詞が最後に来る。つまり、彼らは決してスイッチを切らない! 最後までしっかり耳を傾けてくれる。》(『ヴェンゲル・コード アーセナル、その理想の行方』)