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指揮官は複数ではいけない

近代政治学の祖 マキアベリ

●グループを指揮するとき「指揮官が複数いてはいけない」というのは、マキアベリの時代から今日まで、洋の東西を問わず当然のことで、指揮官があちこちに複数いたら「第一線」はとまどってしまう。

●共通の目的に大勢の人を向かわせるには、単一の指揮官がはっきりとした指揮をすることにこしたことはない。このことは今日の企業社会でも同様だ。

●太平洋戦争の日本海軍にも「複数の指揮官」で非難された例がある。昭和十七年五月におきた「珊瑚海海戦」が、その好例で、日米の機動部隊同士が初めて航空決戦をやった戦いである。

●機動部隊というのは、空母を中心に編成された艦隊で、大艦が巨砲を打ち合って勝敗をきめる古い戦法にかわって、お互いの航空勢力が敵艦を攻撃する、いうなれば第二次世界大戦から登場した新しい形である。

●日米の機動部隊が初めて激突したのが「珊瑚海海戦」だったのだが、日本海軍は小型空母一隻、駆逐艦一隻を失い、米軍も大型空母一隻、駆逐艦一隻、タンカー一隻を失っている。戦果からみると互角のようだが、戦法によっては、あるいは日本軍が大勝利をおさめたかもしれないといわれている。

●ではなぜに日本軍がその戦果をあげられなかったのか。その理由の一つは「指揮系統の複雑さ」で、意思の疎通を欠いたことだ。例をあげよう。

●航空決戦だというのに、機動部隊の指揮をとったのは「同行の巡洋艦隊司令官」で「空母を率いる司令官」ではなかった。二人の司令官は海軍兵学校の同期生で、卒業成績の上下で、指揮官が決められたのだが、これでは空母を中心にした戦で機にのぞんだ敏速な戦はやりにくい。

●ラバウルなどの陸上基地の航空機が空母艦載機に協力して米空母群を攻撃することになっていたが、この基地航空隊を指揮する司令部は遠くテニアン島にいたのである。これでは戦機の判断に間に合わない。まさに複数の指揮官で戦った悪例だった。

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