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私が都立大に受かるまでの壮絶な道のり

こんばんは。みやさんです。大学の定期テストも折り返しになり1週間前にかかった夏風邪も治ってきて,余裕がでてきたので今回は私がそもそも都立大理学部に受かるまでの道のりを忘れないうちにここに書いていこうと思います。大学受験のリアルをありのままに伝えていくので,そういうの苦手な人はブラウザバックしてくださいね。あとへたくそ長文失礼します。


高2~高3のときのわたし

わたしの母校は栃木県にある男子校。今は近くの女子高と合併して共学になった。つまりわたしは男子校最後の世代ということだ。よかったのか,悪かったのか…

わたしが高校2年に上がるとき(2020年)は新型コロナウイルスが問題になり始めたころでした。初めは,なんか原因不明のウイルスによって人が倒れていってるらしいね,とか日本にそれが入ってこなければいいな,とかあまり気にせずにのんびりと高校生やってました。そしたら同年の2月ごろ,小学生のときから仲良かった幼馴染と一緒にPUBGをやっていたら当時の安倍首相が「全国の小中高で臨時休校を要請した」と一報。そのときはめっちゃうれしかったし家でのんびりできるなんて最高とも思ってた。

でもその休校は4月新学期が始まってもなお依然としてつづいてた。授業ができない代わりに学校から郵便で国数英のプリント類やらテキストが送られてきました。〇日までにすべて解いて持って来いと。とはいっても小学校で経験するような膨大な量の課題ではなかったため,着実に消化していった。親が働いて家にいないときとかはさすがにYouTube見るのに飽き飽きしてたので数IIのテキストを予習してしまおうと考えた。学校によっては受験期ぎりぎりまで授業をして不十分なまま受験に臨むところもある。それであっては大学に受からないだろうと思ってたので,とりますべての教科(国数英理社,私は理科は物化選択,社会は地理強制???)の予習を始めた。

そのおかげがあってか,高校の授業が多少楽になってた。その反面,つまらなさも感じてました。1種のBurnout的な何かだと思う。あまり勉強に身が入らなくなってしまったのだ。そのせいで模試の成績にもスランプが。かなり悪い状態で受験生になりました。

受験生のとき

受験生になると,受験する模試の回数がアホみたいに増える。毎週末が何かの模試てのもザラにあった。受験生になって,志望校を東北大学理学部を第1志望に勉強を頑張ってました。ここまで読んでいるあなたは,あれみやさんは都立大生なのになんで?って思ったはず。あとになってからわかります。
てなことで東北大の理系数学やら英語やら何千円もする本を親に買ってもらってそれを授業中とかに内職して解いてました。(先生に内職していいですかってきいて許可もらってた。定期テストは上位のほうに位置してたからかも。)GW,夏休みでも当然のように勉強,親に食事に誘われてもそれを断り勉強に勤しむこともあった。昔は仲よくしてた友達とはあまり話すことはなくなり,受験のライバルとして敵対視してた。(いま思えばなんであんな状態になってたんだろうと後悔してる。他のクラスからは嫌われる存在になってたらしい。いまは完全に仲直りしてます。)そんなくらい勉強に没頭していた私はいざ模試を受けて結果を見ると成績はこれまでC判定だった東北大学はE判定に落ち込む事態に。ここから私のメンタルは崩壊していきます。まずは1人で夜な夜な泣く日が増えた。みるみる下がっていく成績,志望校が遠ざかっていくような感覚に襲われストレス爆上がり。つらい勉強,本当に受かるのかという心配,それはどんな言葉にも例えがたい苦痛でした。
また,2次試験対策だけやってたら意味がない。共通テスト対策もしないといけない。私はあのとき本当に現代文が嫌いでしょうがなかった。70分という短さでスパスパ解いていかねばならないプレッシャー,1問落とすだけで10点近く落とすため,1問間違えるたびに心がえぐられるように感じました。でも,時々日々の勉強が報われる時が来る。ある回の模試(全統模試)で国語176点!!その時はめっちゃうれしかった。先生にも褒められたし,それが今後の勉強の後押しにもなった。そんなこんなで年末年始を迎え,みるみる共通テストの日は近づいてくる。このときの私はまだ知る由もない。あの悪夢のような試験を…

2022年度大学入学共通テスト

勘のいいひとはわかるかもしれない。いや,今後受験する人には悟ってほしい。このテストは多くの受験生を苦しめ,将来の選択を大きく狂わせたといってよいだろう。私はいくら金を積まれたとしてもあの体験はしたくない。

第1日

10時前に試験会場に到着し,最初の科目,地理に備える。これまでやってきた対策のノートを読み返して,試験を待つ。社会科目はなぜかフィルム包装されていてそれをはがす作業が必要だということを初めて知った。他の科目はそんなのないのになんで?ともあれ試験は定時に始まり,いつもより良くできた実感を残し,試験を終えた。

次に1時間以上のインターバルを過ごして,国語を迎える。いつも解く順番は漢文→古文→評論→小説。漢文はとても読みやすく自信持った解答ができた。一方古文は少し手間取り,時間がかかってしまった。評論。豚肉(う〇こ)として体内をめぐる旅に連れていかれた。そこそこ解答には自信があった。しかしタイムリミットは近づいてくる。評論を解き終えて,小説にかけられる時間はたったの15分しかなかった。かなりまずい。心拍数が上がってくるのを感じる。なにを読んでいるのかわからない。看板?男?なにこれ。そうこうしているうちには時間が来てしまった。おわた。

まあでも解けるとこは解けたしいいかな,と思って次の英語を待つ。
私は共通テストの英語は満点近い成績しかとったことがなく,本番でもこけたりはしないだろうと思っていた。いざ試験が開始すると,とにかくすばやく正確に文章から情報を読み取り次の問題にすすむことだけを考えていた。気づいたころには第4問まですすんでいた。腕時計を見るとまだ30分しかたっていない。わからない問題などなかったため,所かまわず解答を続けた。解き終わったころは試験開始から50分ほどすぎたころ。ほかの受験生が鉛筆を走らせる音が聞こえるなか,私は鉛筆を置き,問題の見直しをする。満点だ。そう確信した。後のリスニングも難なく突破できた。

1日目が終了した。コロナ対策もあり,試験会場を出るのに1時間かかった。試験時ではわからなかった疲れが一気にくる感覚を覚えた。

第2日

昨日とは1時間ほど遅めに会場に到着。数学IAを迎える。

第1問の数と式はオーソドックスな問題。楽勝。図形と計量は少し手こずったが何とか突破。第2問の2次関数。マスクをした太郎と花子が関数いじりしている意味不明な絵を横目に解き進めていく。難しく感じて時間を食った。データと分析。相関係数の計算にめんどくささを感じながら解き進めていく。選択問題。私ははじめ確率と整数を選んだ。しかし確率がまったく分からず、途中から図形に移行。整数は1次不定方程式だから行けるかなと思ったが、5桁の解答にやられ、撃沈。時間がもうない。図形をやろう。解けるところまで解こう。できた。タイムアップ。あれ、もう1ページあるやん…全くできてないことを確信した。

数IAは難しかったから、数IIBはきっと簡単やろ、そうだそうに違いない、と思って次の数IIBを待つ。結局あまりできなかった。試験が終わる時には目の前が涙で溢れた。周りに受験生がいるのに、男にもかかわらず情けなく泣いてしまったのである。LINEで親に全く解けなかった、わからなかった。とチャットしたが、聞く耳持たず、次の試験に備えろとのこと。内心もう無理だと思いながら最後の理科を待つ。帰れるなら帰りたかった。半ば諦めモードに入っていた。しかし志望校に合格するためには受けなければならないのである。

最後の試験。理科2科目。私はここで後悔する結果を残した。数IAIIBが解けなかったあのストレスを抱えて挑む試験。明らかに解くペースが遅くなっている。問題を読み間違えたり、計算ミスが多い。物理は思考力ベースの問題で計算を要求されることは少なかったが、化学で大コケをかます。高分子化合物や有機、理論化学が全く解けないのである。何かなんだかわからない。そもそも問題を理解できないのである。解けた実感がないまま全科目が終了。人生が終わった感じがした。全身の脱力感に耐えながら大学を出て、親の車を待つ。皆も難しかった、全く分からなかった。など話していたが、私はその輪に入らずに親の車を待っていた。それよりも私は親になんて言おうと考えていた。模試を含む今までの試験の中でワーストの成績を取ってしまったかもしれない、志望校にいけないかもしれない不安が頭をよぎり、これからどうしていけばよいのかわからない焦燥感。息子が志望大学に合格できるように資金を貯めて尽くしてくれる親になんて謝ればいいだろうか?そんなことばかり考えていた。なによりも東北大学にいけないかもしれない不安がますます私を苦しませる。親の車が来てくれて、自宅への道中、私は再び泣いた。ごめん、ごめん、全くできなかった、ごめん。

事故採点

地獄のような週末が明け,私は試験問題を学校に持っていって自己採点を行った。大学合格可能性判定を行うためである。新聞紙サイズの大きい紙に全科目の解答が記載されており,問題用紙に書いたナンバーと照らし合わせていく。私は一番最初に英語を採点して,次に理科2科目,その後は地理だったか,あまり覚えていない。しかし数学は最後に採点したことは覚えている。運命の結果は以下の通りでした。

  • 国語: 112点

  • 数学IA: 31点

  • 数学IIB: 64点

  • 英語R: 96点

  • 英語L: 80点

  • 地理: 71点

  • 物理: 67点

  • 化学: 32点

  • 合計: 554/900(61%)

予想通りの結果だった。ワースト記録更新である。このままでは志望校に受からないと確信に変わった。本当に悔しかったことを覚えている。今までやってきたことはなんだったのか、私の勉強法は間違っていたのか、と思っていた。スランプもある中、紆余曲折あって模試では高い成績を取れていたのに、本番がこうであっては、何の意味もない。自己採点が終了したら流れ解散であったため,私は涙をこらえながら校門を出て,親の送迎を待っていた。

受験大学の決定

この前やった大学判定リサーチが紙返却されていた。その結果は全部E判定だった。東北大もE,千葉大もE,筑波大もE。すべてE判定。でしょうねと思っていた。受かる大学は私にあるのだろうかとも思っていた。後日担任と受験校を決めるためにマンツーマンで話す機会が設けられた。東進でWeb形式で大学合格判定をしてくれるサイトを見つけたので,私が受かりそうなところ,判定がEでない国公立大学を探した。やはりどこもE判定ばかり,時折Dも見かけるがあまり有名ではない大学で,本心で行きたいという欲望はなかった。だが検索していくうちに,,,見つけた。東京都立大学理学部物理学科である。それの判定はC判定だった。なぜC判定になったかというと,都立大は共通テストの科目は英語以外1/2に得点が圧縮される。つまり,国語ならば200点満点が100点満点換算にされ,数学に関しては50点満点で換算される。これがうまく作用したといってもよい。なぜならば,今回の共通テストでもっともできたのは英語(特にR)であるのだがら。この分析を担任に伝えると,「もしかしたらいけるかもしれんな。」と希望を見出す発言が飛び出てきた。まだあきらめきれない。地獄の底から這いあがる力はまだ残っていたのである。私は,受験校を以下のように決定しました。

国公立大学志望校

  1. (前期) 東京都立大学理学部物理学科

  2. (後期) 埼玉大学理学部物理学科


私立大学志望校

  1. 東京理科大学理学部第一部物理学科

  2. 立教大学理学部物理学科

もともと国公立にしか目を向けておらず,私大のことなんかまったく考えていなかった。そもそも私大は学費が高いし,親に迷惑をかけてしまうからだと考えていた。なので,私大の志望校はほとんど記念受験と等しいです。

都立大の受験(前日まで)

都立大の受験科目は,理学部物理学科に関しては数学と理科2科目だけでした。英語は最近消滅して,受けなくてよくなった。赤本を購入し,それだけをひたすらに解きまくり,問題の傾向をつかむことを最優先に考えていた。これまで東北大のために試験勉強を行ってきたが,受験する科目が1科目減っただけでもかなりプレッシャーが軽くなった気がした。それに加えて,目標は9割だとか満点ねらうとかそんなことはなく,6.5割から7割取れれば受かると,赤本の合格最低点の推移から判断した。現実的に受かるかもと実感した瞬間である。

都立大の受験

受験前日。大学までの道のりを確認するために南大沢駅で降りました。あの頃はわざわざ回り道をして大学にいったことをよく覚えてます。大学に到着するのに30分くらいかかってました。このばかちんが。下見を終えると,橋本に移動して東横INNで寝泊まりしてました。部屋の小さいデスクで最後まで試験対策してたのが懐かしいです。
2022年2月26日。その日がやってきました。あらかじめ配布されていた受験会場の地図や人の流れに身を任せて,理学部の受験会場:12号館に移動しました。遠いなと思いましたね。そもそも都立大のOpenCampusは行っておらず,その時が初めての都立大でした。周りにはたくさんの受験者がいて,倍率も当時は4.0倍くらいだったので,受かる自信はあったもののどこかに自信のない自分がいたのです。知人もだれもおらずただぼっちで寂しい中,数学と理科の試験を着実に終えました。その時の実感は五分五分でした。解ける問題もあったけど,テイストが異なる癖の強い問題もありました。
落ちたかもしれないけど,受かってるかもしれない。そんな気持ちのなか私は電車に揺られ,実家に帰りました。

運命の合否

内心,落ちてるかもしれないと思いながら,3/8の12:00に合否の発表を待ちました。担任にはあらかじめもし国公立受からなかったら,浪人しますと覚悟を決めていました。3/1に高校の卒業式がありました。当時,私は学級委員で,卒業式の卒業証書授与を受け持っていました。卒業生約200名のなか1人で壇上に上がり卒業証書を受け取るのはすこし緊張しましたが,試験に比べればどうってことないものでした。余談はここまでにしておいて,
3月8日。運命の日がやってきます。早く12:00になって結果を見せてくれ。と時間の概念にイライラしてながら待っていました。11時には,親とごはんを食べていました。1階のリビングでね。その中で,時計の針が12時を指します。大学のHPを見てもUploadされない!?サーバーがパンクしてしまい,サイトを閲覧できない状態になっていたのです。まだ待たないといけないのかと緊張というよりほぼあきれた心情でした。約20分後に大学HPを見ると,やっとUpされてました。番号を見ます。「1402036Z」を探します。「1402001S」,「1402024R」,近づいてきた。「1402028Y」少し飛んでるな。大丈夫かこれ。「1402029S」来る。来る。「1402031Y」………
「1402036Z」!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
受かった!受かった!
親は叫び,泣いて喜んでいました。本当によかった。
でも本当によかったのか。東北大じゃなくていいのか,と。浪人を選び,またあの地獄を経験したいかといわれると,私はいやだ。私は決断しました。都立大生になり,一生の思い出をつくろうと。

最後に

私は運よく都立大に受かりました。後日2次試験の点数を見ると,あと7点低かったら大学に合格していなかったのですから。共通テストであの問題を間違えていたら,英語であんな点数を取っていなかったらと考えると今でもぞっとします。以上が,私が都立大に合格するまでの軌跡です。Noteを初めて
間もないのによくこんな長文書けたなって思ってます。
最後に締めをよくするためにこれから大学生になるひとに向けてメッセージ残して終わりにします。
人生つらいこともあるけど,最後はなんとかなります。今つらいと思っていてもそのつらさは有限なものです。当然のことですがね。
長文失礼しました。じゃあまた。



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