はは#1
私のお母さん【私の幼少期】
私の母はとっても教育熱心で、小さいころからいろんなことを私にしてくれました。せっかくだからしてくれた事を書き出してみた。
2歳の時から英才教育(笑)をしてくれた
モーツァルトを聞かせて育ててくれた
習い事をたくさんさせてくれた(サッカー・ピアノ・水泳・ミニバス・英会話)
ゲームをさせなかった(小5まで)
門限は絶対に17時(小学生の頃)
学校の宿題を全力で手伝ってくれた
教育費は惜しまずに出してくれた
今は大学生になって就職を考えたりバイトをしたりして、子供を育てるのにどれだけお金が必要で、それだけのお金を稼ぐのがそんなに簡単ではないことがよくわかるからこそ感謝できるけど、当時は厳しくて怒ってばっかりのお母さんだったし、好きではなかった。お母さんと友達のような関係性の人も多くいるけど、私は絶対的にお母さんが上で反発はするものの従うしかなかったし、容赦なく起こられたし課された罰も重かった気がする。塾に色ペン持っていっただけで全部捨てられたなあ。
私は何ともずる賢い子供で、お母さんの言うことを黙って聞けるおとなしい子供ではなかった上に、他人のことが良く見えるがゆえに友達がすごくうらやましく思えた。私だけ遊びに行っても17時に帰らなあかんし、キャラクターものの文房具も買ってもらえないし、流行りの靴も服も買ってもらえないし、髪の毛も好きな髪形にさせてもらえないし、ゲームも買ってもらえないし、私だけできないことがいっぱいあって悲しかったなあ。今では別に人と同じじゃなくてもいいやんて思えるようになったけど。
母は私を本当に熱心に教育してくれたと思う。赤ちゃんの私にモーツァルトを聞かせていたなんて、それに何の効果があると信じてやっていたのだろうと不思議でならないしちょっと心配にすらなる。でも習い事は何でもやらせてくれたし、お月謝が馬鹿みたいに高いピアノも6年間やらせてくれて、水泳も8年近く習わせてくれて、本当に凄いと思う。お金かけすぎだとすらも思う。
学校の宿題を親が手伝うことの是非はちょっと意見が分かれる気がするけれど、工作の宿題で家から空き箱を持ってきてくださいと言われればわざわざそのために使えそうな形の箱のお菓子を買ってくるタイプの母だった。夏休みの宿題もアリの巣の観察とか、おばあちゃんちのインコの観察日記とか、普通に小学生では計画できないような事ができてたのは多分母のおかげなんだろうね。(学校的にも保護者が手伝うことを想定していたかもしれないけど)
今でもよく覚えているのが、小学校4年生くらいの時期に夏休み中に京都府の市町村で訪れたところを色を塗って感想を書きましょう的な宿題が出されたときに、25近くある京都府内の市町村をほぼすべて連れて行ってくれた。北にある舞鶴や伊根町から、中部の美山、京田辺市などまで車で何度かに分けて、家族4人で回ってくれた。たぶんできるだけ多くの市町村を通るためにドライブしてくれたんだろうな。今思えば私はそこまでできない気がするから本当に凄い。その市町村の農産物とかも調べながら回ったのはよく覚えているし、お父さんもやりすぎだと半面思っていたのかもしれないけど、よく理解してくれていたんだと思う。
私のお母さん【中高生時代】
なんかとっても長くなったので、後編にしようと思う。一丁前に。
※卒論発表会中に書いた(書くな)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?