読書感想文、動物化するポストモダン、東浩紀

動物化するポストモダン

もうなんの本だったかは覚えていないですが、何かの本で引用されていて、読んでみたい本リストにずっと入っていた本です。たまたま本屋で見つけたので買いました。

オタクの消費行動からポストモダン社会の構造を考察している本書ですが、出版されたのが2000年代なので現在とはコンテクストが少し違います。実際に、本書で引用されている作品のほとんどを僕は知らなかったです。それでも、論理や考察を追っていくのはとても楽しったです。下手っぴですが、思ったことを書いてみます。



ツリー型の近代世界像と対比して、ポストモダンの世界像はデータベース型として捉えることができるようです。信じることができる大きな物語があった近代では、目に見えない大きな物語を、目に見える表層的な小さな物語を通して捉える世界像が成り立っていました。例えば、国家とか共同体とか、そんなものが大きな物語で、小さな物語はメディアでしょうか。

一方で、絶対的に信じることができるものがないポストモダンでは、表層的な小さな物語から大きな物語を捉えようとする世界像が成り立っているようです。オタクの例で言えば、萌え要素が深層的な大きな物語で、アニメや漫画作品は表層的な小さな物語です。アニメや漫画は、深層的な萌え要素にアクセスするための手段に過ぎないので、二次創作もオリジナルと並列に扱われています。

ツリー型の世界像では、オリジナルとコピーが同一に扱われることはないでしょう。オリジナル作品のみが、深層の何かを伝えているからです。作品へのオリジナリティの感覚は、その作品の存在を生み出した儀式の一回性によって根拠づけられると考えることができるようです。

ポストモダンに生まれ育った僕にとっては、データベース型の世界像のほうがしっくりきます。例えば、私たちが感じる感情も結局は脳内の神経活動に過ぎません。それは電位の伝達と神経伝達物質だけです。その深層を、言葉とか絵とか彫刻とか、なんらかの形で捉えて、表現します。そしてそれらの表現方法は並列です。言葉がないと感情を捉えられないと聞いたことがあります。何かよくわからない脳内の活動に、言葉でアクセスしているのではないでしょうか。
実際に本書では、データベース型の世界像を、ウェブやソフトウェアの世界を使って説明しています。ハードウェアに格納された電磁気という深層を、16進数や、ソースコード、インターフェースで表すが、それらはすべて並列であると。これはまさしく、人間の脳内活動と同じではないでしょうか。

そしてそんな平面的な世界では、さらに見えない深層への欲求がとまらないと述べいてます。これも僕にとってしっくりくる考え方でした。感情なんてただの脳内活動の結果にすぎないのに、そこに意味や解釈を求め続けてしまいます。でもそんなものはありません。
幸福の感情をだけを求め続けてしまう現代は、データベース的なのでしょうか。一方で、絶えず押し寄せる波のような感情たちをただ受けいる、そんなブッダのような世界観は近代のツリー型でしょうか。

現実をこんな視点で捉えたことがなかったので、とても勉強になる本でした。出版されて以後の今の社会を、筆者がどのように捉えているのかとても気になりましたし、自分なりにもそんな目線で社会を見てみたいです。

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