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【廃線散歩】8.武州鉄道 後編

前回の記事はこちらをご覧ください↓

廃線跡を辿る~岩槻北口から笹久保~

今昔マップより作成。黄線が武州鉄道
青線が廃線跡

今回は当廃線跡の見どころの1つ、野田線ガードから始めていきましょう。

もうすぐ引退してしまう8000系

野田線の岩槻駅は地上ホームになっていますし、この場所が駅から見て低い土地になっているわけでもなく、本来はわざわざ高架にする必要はありません。それでもこうして高架になっているのは、先にここを武州鉄道が走っていたからなんです。つまりこのガードは廃線跡を示す何よりの証というわけです。知らないと何てことない風景ですが、知った途端に隠れていたものがパッと見えてくるような、そんな面白さが廃線跡探索の魅力です。

別日に撮った写真にはネコチャンが写ってました🐈
ネコチャン!
ちなみにこれは以前岩槻駅に展示されてた再現ジオラマです。現在は11月10日まで岩槻図書館に展示されてます。右端に階段の手すりがありますが、総武鉄道(今の野田線)は武州鉄道との乗換駅としてこの場所に「渋江駅」を設けていました。
かたや快走する電化路線、かたやトコトコ非電化路線。生き残る路線とはどういうものか見せつけてくれますね
浄安寺。この門の目の前を線路が通っていました
お寺の駐車場が廃線跡
岩槻郷土資料館の展示より。写真左に少し写ってる屋根がお寺の門です。
「疾走する」と書かれてますが、時速15km程度だったようなので自転車並みのスピードでそんなに速くありませんでした
この細い道は「武州鉄道の小径」という名が付けられています。実際の廃線跡はこの道ではなく、左側の宅地の方です
小径の隣にある幼稚園の遊具がSL…。武州鉄道も開業時はSLを使用していたので、なんというか、勝手に深読みして感慨にふけってしまいます
2号線を渡った先が岩槻本通駅跡です。この駅は総武鉄道(今の野田線)との乗換駅として設置されたと思われます
時の鐘。今も現役で、朝夕6時と正午に鳴らされてるそうです
再現ジオラマ
この辺も住宅街で辿りづらいので航空写真を見ましょう。僅かにカーブする道路がかつての鉄路を彷彿とさせます
武州鉄道の中心とも言える岩槻駅の構内は広く、この中学校とその先の小学校の敷地に跨っていたようです
こちらは岩槻郷土資料館に展示されてる古地図です。武州鉄道の岩槻駅構内の大きさが目立ちます
小学校の南に延びる廃線跡(宅地)
上の航空写真で赤く囲んだ建物がこちら。周囲に比べると不自然な方向を向いています。
324号線と16号線をぶち抜いていきます
上の航空写真の青丸部分にある酒屋。建物の奥行が道路に対して斜めに延びてます
16号線を渡った先にも「武州鉄道跡」の看板がありました!こんな、ただの住宅地の道路にもちゃんと看板立ててくれるんですね。熱意がすごいぞ、岩槻。
廃線跡へ至るカウントダウン看板もありますw熱意がすごい(2回目)
こんな丁寧に案内してくれてますが辿り着く先はただの住宅地なんですわ
さて、ついでに貝塚行きますか~。
って、貝塚には興味ない?いやいや、寄るべきですよ。だってここから見える背景の住宅、廃線跡の上に建ってるんですから……。つまり武州鉄道は貝塚のそばを走ってたんですね。
黄マーカーした部分が廃線跡
廃線跡上に建つ車庫
廃線跡は少しの間324号線に並行します
岩槻グリーンウッドゴルフ場付近に「真福寺駅」があったらしいです
道路は右へ緩くカーブしてますが、廃線跡は真っ直ぐ左の方へ延びています
目白大学へ至る直線道路が廃線跡です
廃線跡は大学構内をぶち抜いてます
これは岩槻~浦和美園のバスに乗った際の写真。廃線跡は門を抜けて真っ直ぐ続いてます
岩槻歴史資料館の展示。目白大学建設にあたって調査が入った際、この付近にあった「浮谷駅」の痕跡が発見されたらしいです
左の車が並んでる敷地が廃線跡
おや!ここからも富士山見えるんですね。武州鉄道の車窓からも見えただろうか…
奥へ真っ直ぐ延びる廃線跡

ちなみに笹久保から浮谷駅までは上り坂になっており、貨物車が坂を登り切れず止まってしまう事がたまにあったそうです。その際は一旦バックして助走を付けてなんとか登っていたようです。
なお、武州鉄道が運んだ貨物は主に岩槻のごま油やサツマイモ、肥料となる灰、安行の苗木だったそうです。サツマイモは特に東北の飢饉の際には重要な物品だったことでしょう。

廃線跡を辿る~笹久保から神根~

今昔マップより作成

さて、埼玉スタジアムへ近づいてまいりました。

中古自動車販売商工組合の敷地内の道路になってる廃線跡
綾瀬川を渡る橋梁は昭和46年に無くなったそうです
中古自動車販売商工組合の敷地が真っ直ぐ向こうに見えるので、この場所に橋がかかっていたと思われますが、ここだけ都合よく草が短いのは何故なんでしょう…?

綾瀬川のすぐ南で伝右川も渡っており、その橋脚が21世紀に入っても暫く残っており武州鉄道唯一の遺構だったそうですが、川は暗渠化され完全に消えてしまいました……。

野田陸橋と美園陸橋の間に「武州野田駅」があったそうです
浦和IC付近にある重殿社。ここに武州鉄道に関する石碑があります
停車場道路工事記念碑。停車場は武州野田駅のことを指します
境内の木々に風雨から守られていたからか、かなり綺麗な状態で残ってます

是時昭和参年十二月武州鉄道開通ト共ニ停車場道路附設ノ議起リ区民後援ノ下ニ野田青年團中野田支部員等昭和四年三月十七日起工同年四月十五日其ノヲ視ル同線ノ枕木ハ朽チル事アルモ我等ノ努力ハ今尚石文ニ
昭和四年十月十五日建設

最後の一文かっこよくないですか?
同線ノ枕木ハ朽チル事アルモ我等ノ努力ハ今尚石文ニ
伝右川の橋脚も失われ、もはや武州鉄道の遺構と呼べるものは無くなってしまいましたが、この石碑がここに武州鉄道という路線があったことを100年先の未来に伝えていて、駅前道路を整備した地元民の想いが今も残っているんですよ。これってロマンじゃないですか?

さて、この辺りの廃線跡は122号線に飲み込まれてしまっています。

大門交差点付近にあるこちらの建物が昔は駅前食堂だったそうです。「武州大門駅」はこの辺にありました
石神交差点の神根交番付近に最終延伸地「神根駅」がありました

おまけ・地下鉄7号線延伸の圧

東武野田線岩槻駅前のロータリーにはこの看板がずっと前からあります。

前編でSR(埼玉高速鉄道)の延伸計画に少し触れましたが、正確には「地下鉄7号線」の延伸計画になります。
地下鉄7号線とは、今の東京メトロ南北線および埼玉延伸部分の計画段階の名称です。埼玉側はメトロとは別会社であるSR(第3セクター)として開業しました。そのままメトロでもよくない?と思われるかもしれませんが、簡単に言うと「東京」メトロが「埼玉」まで面倒見切れないよ!という事で、国や自治体と民間がお金を出し合う形の会社として開業しました。
地下鉄7号線が岩槻へ延伸するという計画だけは何十年も前からあるのですが、未だ決定に至らず、看板だけが虚しく佇んでるというわけです。

これは岩槻駅東口側の窓に描かれた地下鉄7号線イラストです。言うて、ここは東武の駅なんですけどね。主張だけは激しいです。
こういった主張はSR浦和美園駅にもあります。

改札を出て正面
ホームの壁
既に沿線であるかのように置いてある時の鐘
岩槻延伸を願って塔を設置する本気度

岩槻延伸の件、恐らく岩槻以外の県民は無関心かもしれません。が、例えば大宮付近に住んでる方、JRで何かあった時の代替手段になりますよ。天候の影響を受けにくい地下鉄なので、昨今の気候の凄まじさを考えるとあってもいいと思えてきませんか?もし延伸できた暁には武州鉄道100年来の悲願達成ということになります。大変なロマンです。

おまけ2・浦和美園駅付近にある謎の鉄分スポット

武州鉄道やSRとは全く関係ないのですが、イオンモールの少し南にある歯科医院の敷地に車両が静態保存されてます。鉄道好きの方は是非。

おまけ3・岩槻で見つけたナイスカフェ

廃線跡探索の際などに是非どうぞ。

・ヨロ研カフェ
休日昼はかなり混むので予約か時間帯をずらすのがオススメ

・cafe 風音
ワンちゃんOKの所なので動物がいても大丈夫な方にオススメ

おまけ4・建築的にも楽しい岩槻郷土資料館

武州鉄道について知りたければ決して無視できない岩槻郷土資料館ですが、建物自体も良いんですよね。昭和初期のコンクリート建築が主流になり始めた頃の重厚感あるデザインは時代を感じさせます。

外観はホラー感ありますが…
中は綺麗ですよ
個人的にはこの階段が好きです

以上、ここまでお読みいただきありがとうございました!

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