【廃線散歩】8.武州鉄道 後編
前回の記事はこちらをご覧ください↓
廃線跡を辿る~岩槻北口から笹久保~
今回は当廃線跡の見どころの1つ、野田線ガードから始めていきましょう。
野田線の岩槻駅は地上ホームになっていますし、この場所が駅から見て低い土地になっているわけでもなく、本来はわざわざ高架にする必要はありません。それでもこうして高架になっているのは、先にここを武州鉄道が走っていたからなんです。つまりこのガードは廃線跡を示す何よりの証というわけです。知らないと何てことない風景ですが、知った途端に隠れていたものがパッと見えてくるような、そんな面白さが廃線跡探索の魅力です。
ちなみに笹久保から浮谷駅までは上り坂になっており、貨物車が坂を登り切れず止まってしまう事がたまにあったそうです。その際は一旦バックして助走を付けてなんとか登っていたようです。
なお、武州鉄道が運んだ貨物は主に岩槻のごま油やサツマイモ、肥料となる灰、安行の苗木だったそうです。サツマイモは特に東北の飢饉の際には重要な物品だったことでしょう。
廃線跡を辿る~笹久保から神根~
さて、埼玉スタジアムへ近づいてまいりました。
綾瀬川のすぐ南で伝右川も渡っており、その橋脚が21世紀に入っても暫く残っており武州鉄道唯一の遺構だったそうですが、川は暗渠化され完全に消えてしまいました……。
是時昭和参年十二月武州鉄道開通ト共ニ停車場道路附設ノ議起リ区民後援ノ下ニ野田青年團中野田支部員等昭和四年三月十七日起工同年四月十五日其ノヲ視ル同線ノ枕木ハ朽チル事アルモ我等ノ努力ハ今尚石文ニ
昭和四年十月十五日建設
最後の一文かっこよくないですか?
同線ノ枕木ハ朽チル事アルモ我等ノ努力ハ今尚石文ニ
伝右川の橋脚も失われ、もはや武州鉄道の遺構と呼べるものは無くなってしまいましたが、この石碑がここに武州鉄道という路線があったことを100年先の未来に伝えていて、駅前道路を整備した地元民の想いが今も残っているんですよ。これってロマンじゃないですか?
さて、この辺りの廃線跡は122号線に飲み込まれてしまっています。
おまけ・地下鉄7号線延伸の圧
東武野田線岩槻駅前のロータリーにはこの看板がずっと前からあります。
前編でSR(埼玉高速鉄道)の延伸計画に少し触れましたが、正確には「地下鉄7号線」の延伸計画になります。
地下鉄7号線とは、今の東京メトロ南北線および埼玉延伸部分の計画段階の名称です。埼玉側はメトロとは別会社であるSR(第3セクター)として開業しました。そのままメトロでもよくない?と思われるかもしれませんが、簡単に言うと「東京」メトロが「埼玉」まで面倒見切れないよ!という事で、国や自治体と民間がお金を出し合う形の会社として開業しました。
地下鉄7号線が岩槻へ延伸するという計画だけは何十年も前からあるのですが、未だ決定に至らず、看板だけが虚しく佇んでるというわけです。
これは岩槻駅東口側の窓に描かれた地下鉄7号線イラストです。言うて、ここは東武の駅なんですけどね。主張だけは激しいです。
こういった主張はSR浦和美園駅にもあります。
岩槻延伸の件、恐らく岩槻以外の県民は無関心かもしれません。が、例えば大宮付近に住んでる方、JRで何かあった時の代替手段になりますよ。天候の影響を受けにくい地下鉄なので、昨今の気候の凄まじさを考えるとあってもいいと思えてきませんか?もし延伸できた暁には武州鉄道100年来の悲願達成ということになります。大変なロマンです。
おまけ2・浦和美園駅付近にある謎の鉄分スポット
武州鉄道やSRとは全く関係ないのですが、イオンモールの少し南にある歯科医院の敷地に車両が静態保存されてます。鉄道好きの方は是非。
おまけ3・岩槻で見つけたナイスカフェ
廃線跡探索の際などに是非どうぞ。
・ヨロ研カフェ
休日昼はかなり混むので予約か時間帯をずらすのがオススメ
・cafe 風音
ワンちゃんOKの所なので動物がいても大丈夫な方にオススメ
おまけ4・建築的にも楽しい岩槻郷土資料館
武州鉄道について知りたければ決して無視できない岩槻郷土資料館ですが、建物自体も良いんですよね。昭和初期のコンクリート建築が主流になり始めた頃の重厚感あるデザインは時代を感じさせます。
以上、ここまでお読みいただきありがとうございました!
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