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マロン色に染まった髪は叔母からの贈り物なのかもしれない

ひとりっこである私を、まるで妹のように可愛がってくれていたのが、叔母の“みーちゃん”だった。そして、私もまた、彼女を姉のように慕っていた。

みーちゃんは、アパートの402号室に祖母と住んでいた。共働きの両親に代わって、彼女たちは私を可愛がってくれたように思う。手先が器用なみーちゃんは、リカちゃん人形の服や小物を作ってくれたり、ビー玉を飲み込むマジックを見せてくれたりした。そして彼女はいつも、ユニークな発想で私を楽しませてくれた。お菓子の入っていた缶に、水性ペンのインクをつけて、糊を垂らして作った透明の花々。アパートのベランダで、洗面器いっぱいに液を張ったしゃぼん玉。青いタイル貼りの浴室で並んでした歯磨き。祖母と3人で、小さなテーブルを囲んでシロップをかけて食べたピザ。木々に囲まれるだけで恐怖を感じていたほど視野が狭かった幼少期の私にとって、みーちゃんは最高のエンターテイナーだった。


話は2021年に戻り、きょう、約8年ぶりに叔母の“みーちゃん”が店長をしていた美容室に行った。彼女が勤めていた頃、白と橙を基調としていた空間は、黒で統一されたものになっていた。セシル、という可愛らしい名前も変わってしまっていた。

それでも、担当してくれた美容師さん2人は、私のことを覚えてくれていた。「美保さんの姪」だから、だと思う。みーちゃんが店長をしていたこと、人望も技術もあったこと、多くの人の憧れだったことを聞いた。それを聞いて初めて、叔母ではなく1人の美容師としての彼女を見つめることができた。


そんな叔母が自ら人生を閉じた、2009年の9月から、もう11年が経った。


あれほど大好きだったみーちゃんの声を、私はもう覚えていない。背丈も、香りも、忘れてしまった。記憶がない以上、妄想でも会話をすることが出来ない。いつしか、6歳を迎えた時に貰った手紙だけが、彼女と私を繋ぐものになっていた。


今日、初めて髪を染め、カーキというか、オリーブというか、そういった緑がかった色を入れた。結果的に、日に当たると緑を感じる、マロンのような茶色に染まった。カラー剤を塗りながら、「これも美保さんに教えてもらったとよ」と、美容師さんが笑いながら言った。

美保さん、みーちゃん、叔母の記憶は、完全にお葬式で止まっている。夜中に鳴った警察からの電話、警察署の駐車場で放送休止の画面を見ながら寝た午前4時、父に突如みーちゃんの死を告げられ泣き崩れた葬儀ホールの駐車場。亡くなった直後の衝撃があまりに鮮烈で、動く彼女の姿をほとんど思い出せない。

しかし、こうして叔母の技術を継ぎ、動いている人がいると気付けたことで少し救われた。叔母の姿を他者に投影するのは、あまり良いことではないが、今日髪を染めてくれた腕、技術は、叔母の化身でもあったと思いたい。手紙ではない方法で、叔母と繋がっていられる気がするからだ。


もしかしたら、きょうマロン色に染まった髪は、叔母からの贈り物なのかもしれない。

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