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一人の人間の死は悲劇だが、数百万の人間の死は統計上の数字でしかない

自宅待機者がX人死んだ。

このニュースを聞いて未だに
欧米の死亡者数に比べて笑笑などと
言っている愚者がいます。

賢者Aと愚者Bの間に
こんな会話がありました。

A:感染者数が数千人なるみたい。
万単位になるかも。皆さんも気を付けましょう。

B:日本の死亡者数は低いですよね。

A:でも重症者は増えてますよ。

B:で、死亡者数は?

このBの言い方、
あたかも自分の方が優位であり

相手の方が無知で
下であるかの物言いです。

感情をさがなでする
小馬鹿にした言い回しです。

詐欺師がよく使う手で
焦点をずらして自分の土俵に
持ち込もうという作戦です。

この後別の賢者Cが参戦し
Bに噛んで含めるように
新型コロナの恐ろしさを説明していましたが、

愚者Bは全く理解ができなかったようで
訳のわからない支離滅裂な持論を展開していました。

さすがに賢者AもCも
つける薬はないと
サジを投げたのでしょうか、

あるいは
死ななきゃ治らない者に
付き合っている暇はない、

時間の無駄と思ったのでしょうか
返しがなくなってしまいました。

ここで重要なことは
賢者と愚者の会話の優劣や
議論の中身ではなく愚者の認識です。

賢者の方も若干
”あること”
に引きずられています。

だから、意識的か無意識的かはわかりませんが
愚者は誘い水戦法を仕掛けてくるのです。

その”あること”とは何か、
そうです”数”です。

感染者”数”、重症者”数”とか
死亡者”数”です。

数ってそんなに重要ですか。

感染して苦しい思いをするのは
一人一人の人間ですよ。

重症(専門家に言わせれば危篤状態)になって
死亡するかもしれないのは一人一人の人間ですよ。

そして、不幸にして亡くなった方も
一人の人間です。

もちろん数が大事でないとは言いません。
統計分析をする専門家には重要な情報です。

しかし、数理解析ができるわけでもない
ド素人が死亡者数がどうのこうのと言うのは

嫌われ五輪をやっているので
柔道で例えるなら

柔道をやったことがない者が
にわか知識で

「相手を投げるには重心を
移動させなければならないんだよ」と

難しそうな言葉を使えば
賢く見られると思ってか
いかにもきいた風な言い方をしますが、

「じゃ、どうすれば
その重心移動とやらができるんですか」と尋ねると
にわかは、途端に絶句します。

負けを認めたくない
タチの悪いにわかは

「押したり引いたりすればいいんだよ」などと
また訳のわからないことを言ってくるでしょう。

でも「じゃー、やって見せてください」と
言われれば当然できるわけもなく結果絶句します。

このようにド素人が
ド素人のくせにド素人の分際で

偉そうに死亡者数がどうのこうの言うな!
といいたいです。

数ではなく
一人一人の人間の苦しみに
焦点を当てて欲しいのです。

数ではないもう一つの例として
マイケル・サンデル教授の白熱教室
トロッコ問題があります。

1人を殺すか5人を殺すかの問題ですね。

無為無策無能無責任の政府は
東京パンデミックとかやって

自分たちで感染爆発を招き寄せたくせに
指定感染症は原則全員入院のはずなのに

中等症の人でも自宅待機と言う
驚きの方針を打ち出しました。

いちいち調べてませんが
指定感染症全員原則入院なのに
それが行われていないって
法律違反なんじゃないですか。

まー、それはさておき、
自宅待機者を増やすというのは
ある意味トリアージという指摘もあります。

そこでサンデル教授の問題に戻って
1人の命の重みと5人の命の重みは

1人<5人
という不等式が成り立つかということです。

思考実験ですし実際のところは
その場の状況判断にはよると思いますが、
私はそうは思いません。

1人の命の重みも5人の命の重みも
等しく変わらないと思います。

”=”の記号を使わなかったのは、
1人の命は5分の1と

割り切れるようなものではないと
感じたので=で結びませんでした。

(この文章は数学的になっていません。
したがって数学を考える必要はありません。

ただ人の命は割り切れないということを
感じ取ってもらいたかっただけです。
Don’t think. FEEL! )

つまり、一人ひとりの
人間の命が大事であって
命に優劣はないということです。

総書記1人の命の方が
少数民族の命よりも上
なんてことありませんよね。

だから、数に注目するのではなく
人間一人ひとりの苦しみを
おもんぱかって欲しいのです。

K宣言が出ても「もう慣れた」と言って
自粛を放棄しています。

無為無策無能無責任で
K宣言さえ出していればいい、

それよりも金儲けの五輪などと
思っているようなメッセージが

伝わってくるようでは
効果がなくなるのは当然です。

それともう一つの「もう慣れた」は
感染者数です。

初めのK宣言が出た時のことを
思い出してください。

今より随分少なく百数十人程度で
ビッビッて街に出ることを控えたではないですか。

それが今や数千人台、
これから万人台へ行こうとしています。
数字に慣れてしまったのです。

もう一度言います。
だから、無機質な数字ではなく

血のかよった
生身の人間が苦しんでいる状況を

自らの苦しみとして
イマジネーションを働かせて
共感して欲しいのです。

苦しんでいるのは感染者だけではありません。
その家族もそうでしょう。

毎日運ばれてくる患者を診る
医療従事者もいます。

中には死亡していく人もいて
精神的にも肉体的にも苦痛です。

医療だけではありません。
経済も痛んでいます。

これらは全部数字で
割り切れるようなものではありません。

数値分析の専門家だかなんだか知りませんが、
数字ばっかり扱ってるから

「日本の感染者数は欧米に比べてさざ波、
この程度で五輪中止とは笑笑」などと
非人道的な表現が平気でできるのでしょう。

そんなに頭がいいのであれば
悪口言っている暇があったら

感染防止と経済両立の
画期的な提案をしてほしかったですね。

すべての人間は命を削って
人生を送っているということを
忘れてはいけません。

だから、どの人の命も大事なのです。

数値分析の専門家は余計なことを言わないで
しっかり分析して改善策を提案するという仕事を
全うして貰えればそれでいいですし、

ド素人は、なんちゃって専門家になって
数字がどうのこうの言うのではなく

数字のことは専門家に任せて
人間一人ひとりを見つめ
慈悲深く接するべきでしょう。

そうすれば専門家が提言する危機を
皆が共有することになり
行動変容につながると思います。

そして、情報共有ネットワークにより
人類英知を結集すれば

「為せば成る」ではないでしょうか。



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