Office NoMad 2021年振り返り
早いもので気づけばもう大晦日。
2021年は、まさに怒涛の一年だったと思う(毎年そう思ってるけど)。
個人事業主として独立開業したのが2020年11月、個人事業主として本格的に事業に取り組んだ2021年はどんな一年だったのか、時系列で振り返ってみようと思う。
と同時に、忙しさにかまけてnoteが全然書けていなかったため、これを機会に書く習慣を再度つけようかと思っている。思ってはいる。
1月
父の急逝
コロナ禍の影響で、正月も実家に帰るなという父からのお達しがあり、雪深い湯沢で初めての年越し。
12月の豪雪に嫌気が差したのと、ちょうど仕事で新潟市に行く用事があったので、そのまま思いつきで佐渡に渡ることに。
いつものように虫崎の兵庫家にホームステイさせてもらい、最終日、寿司でも食ってフェリーに乗るか、というタイミングで、父が急死したという知らせが入った。
このあたりの記録はnoteのマガジンにまとめてある(未完結)が、初めての喪主を経験したり、相続問題について考える必要があったりと色々と慌ただしい一年のスタートとなった。
ハワイアンフェスティバル2020in瀬波
私はもともとイベント屋ということで、いくつかのイベント運営のお手伝いもしているのだが、その一環で、「ハワイアンフェスティバル2020in瀬波」にてオンライン配信のオペレーターをやらせてもらうことになっていた。
父の葬式が終わったその日のうちに現地入り、テクニカルチェック、リハーサル、関係者との打ち合わせなどを行った。
当日の様子はこちらから。
瀬波会場、いわき会場、ハワイ会場と3つの会場をオンラインで繋いでの生ライブという試みだったが、配信回数も4,000回を超え、盛り上がるイベントとなった。
Startup Weekend Niigata プレ開催
そして、もうひとつ進行に関わっていたのが、3日間で起業を体験するというプログラム「Startup Weekend Niigata」だ。
3月末には私の住む湯沢で県内14回目の開催が予定されており、そのプレイベントとして、1月30日に雪上テントサウナの中で今年の抱負を語る、というイベントを実施した。
当日の様子はこんな感じ。
なかなかにクレイジーなイベントであった…。
2月
慌ただしかった1月からはだいぶ落ち着き、ルーティンワークに戻ってきた。
津南町移住定住プロジェクトチームアドバイザリー業務
今年から新たにスタートした仕事のひとつが、津南町の移住推進プロジェクトへのアドバイザー業務だ。
私が入居しているきら星株式会社が役場からの業務委託を受けており、そのお手伝いという立場でプロジェクトチームへのアドバイスなどをさせてもらった。
Slackを使ってのやり取りをすることになったのだが、プロパーの自治体職員たちとSlack上でリアルタイムに議論をしたりするのは、なかなかにハードルが高いことが改めてよく分かった。
そんな中でも、発表時期は遅れてしまったが、移住施策の案をまとめ、プレスを入れて発表するというひとつの形を作り上げるところまで到達したのは感慨深い。
3月
新潟県移住戦略アドバイザリー及び 移住促進プロモーション実施業務提案書
3月のメイントピックスはこちら。
新潟県の移住戦略についてのアドバイザー業務と、移住促進プロモーション実施業務についてのプロポーザルに参加。
プロジェクトメンバーは、下記4人、
・きら星株式会社 代表取締役 伊藤 綾氏
・アイディアパートナーズ 山本一輝氏
・コウダイ企画室 代表 小林 紘大氏
・Office NoMad 代表 高橋 智計
はっきり言って、県内最強の4人がタッグを組んだ、と思っていたし、それに恥じない企画書に仕上げたつもりだったのだが…
結果は落選。
某大手広告代理店の新潟支社が受注となった。
これが年内で一番悔しかった事件かもしれない。
Startup Weekend Niigata Vol.14
プロポーザルでは悔しい結果となったものの、気を取り直してイベント運営に。
コロナ禍ではあったが、「3日間で起業する」というイベントのテーマを考え、参加はオフラインのみとした。
結果のレポートはこちらにまとめてあるが、私はリードオーガナイザーとして運営全般を担当。
最終日は父の49日だったため、朝胎内市の実家に移動し、49日を終えたその足で湯沢に帰り、最終プレゼンテーションへ。
長かった冬の湯沢の寒さを吹っ飛ばすような、熱いイベントだった。
4月
NAVITIME Travel 記事制作ディレクション
4月になって新たに加わった業務が、Web記事制作のディレクションだ。
新潟県内の観光スポットを取材、撮影し記事を制作するというものなのだが、新潟県内で約80スポットもの記事を書かなければならないということで、一人でやるのはさすがにちょっと厳しい。
そこで私は、スポットリスト制作と全体のディレクション、進行管理、校正という役割を担当することとし、県内を5ヶ所に分け、それぞれライター、カメラマンの方をアサインし、記事制作をお願いするという体制を構築した。
納品の締めは10月末まで、長い戦いが始まった。
LOCAL CAREER SHIfT
OMO Niigataも含め数々の案件でご一緒させてもらっていた、合同会社Inquiryの代表、山本 一輝さんが5月より新しく始めたニューノーマル時代のキャリアセミナー、「LOCAL CAREER SHIT」に、プロボノとして参加することになった。
教育に関心のあるさまざまな立場の方が集まったプロジェクトだったが、とにかく、
「口を出すだけではなくオーナーシップを持って自分で手を動かせること」
「子どもたちの未来を本気で考えた上で、山本さんのやりたいことや助けが必要なことを的確に理解し、アウトプットすること」
この2つを重視し、最後まで伴走することができたと思う。
5月
ろくすけ豆復活プロジェクト
前述のとおり、1月に私の父が急死してしまい、相続について悩む日々が続いていた。
最初は空き家を活用するイベントを考えてみたのだが、どうにもしっくりこない。
色々考えて、実家の利活用は諦めるとしても、比較的新しいガレージと畑はまだ何か使い道があるような気もしていた。
特に「ろくすけ豆」という高橋家のオリジナル品種の枝豆だけは何らかの形で存続させたらおもしろいのでは、と考えていた。
そこで、地元の知り合いづてで新潟食料農業大学の「6次産業化クラブ」というサークルの学生を紹介してもらい、シェアファームとして彼らに畑を貸して、実習としてろくすけ豆の栽培に挑戦してもらうこととなった。
そのキックオフとして、5月4日、実家の畑で、学生たちといっしょに豆の植え付けを行うキックオフイベントを開催した。
結果としては、30人ほどの関係者が実家の畑に集まり、耕運機も使って畝を立て、豆を植えた。
ろくすけ豆のピークは、お盆明けから9月上旬。
収穫祭が楽しみだ。
大型免許合宿+リモートワーク体験記
この5月、私が最も時間を費やしていたのは、なんと言っても大型免許合宿で長野の塩尻に2週間ほど缶詰めになりながら、免許取得とリモートワークの両立にチャレンジしたという経験だ。
詳細については以下のマガジンに詳しくまとまっている。
結果としては、路上試験不合格1回、卒業試験不合格1回という紆余曲折ありながらも、なんとか大型免許の取得に成功した。
All Youth Yuzawa
せっかく湯沢に移住してきたのに、受けているのが外の仕事ばかりだったので、ここはひとつ、地元の活動にコミットさせてもらった。
地元の若い方を中心に集まったメンバーで、湯沢に足りないもの、こと、こんなことがあったらもっと良くなるのに、と思うことを話し合い、まとめて町長に提言するというアクションを目指す団体、「All Youth Yuzawa」の会議で、ファシリテーターを拝命することとなった。
オフラインとオンラインが混じり合うハイブリッド開催で取り回しに苦労したが、結果としては、出てきたアイディアをグルーピングし、それぞれチームを結成、ネクストアクションの設定をするところまでどうにか導くことができた。
6月
大規模ワクチン接種マニュアル制作
一年も半年が過ぎたが、この仕事がきっかけで、2021年後半の仕事人生が大きく変わることとなった。
詳しくは割愛するが、某地方自治体のワクチン接種について、マニュアルを作成するという仕事を請け負うこととなった。
いや、本当は現場のディレクションまでやって欲しいというオーダーだったのだが、ディレクターとして毎日現場に立つのはさすがにしんどいのと、湯沢にいながらでもできる業務として、マニュアル作成のみを切り出してもらった。
とはいえ、現場のことを知らないとマニュアルは書けないので、現地でのロケハンや関係各所の打ち合わせなど、結果として拘束時間は長くなってしまった。
しかも、悪いことにこの時ちょうど持病の痛風が発症してしまい、足がドラえもんのようになってしまった。
とはいえ、現場に行かないわけにもいかないし、幸いにして左足だったので車の運転には支障がなかったので、会場では車椅子に乗りながらマニュアル作成をしたというシーンもあった。
7月
佐渡へのホームステイ in Summer
7月は、ワクチンの仕事も終わり一段落。
山間の湯沢に住んでいるせいか、夏の佐渡が恋しくなり、再び佐渡にホームステイ。
2017年に初開催となった虫崎100人盆踊りのお手伝いをさせてもらってからは、もはや家族も同然と勝手に思っている兵庫家にホームステイ、仕事そっちのけで夏の佐渡の海を楽しむことに。
虫崎に到着するやいなや、家の目の前の海が綺麗すぎて、思わずiPhoneを持ったまま飛び込んで水中動画を撮影してしまった。
この後、海から上がって5分でiPhoneがご臨終という切ない結果となってしまった。
一応ちょっとだけ、仕事もした。いやほんと。
新潟U・Iターン情報ナビ ディレクション業務
前半だけを見ていると、自由気ままな生活を続けているように思えるが、さすがに私も毎月のルーティンワークがないと食いぶちがままならない。
そのルーティンワークのひとつが、この新潟県の公式移住サイトだ。クライアントである新潟県庁との折衝や、記事等のディレクション、月次資料作成などの業務を、前職の会社から委託してもらっている。
相手が県ということもあり、私が折衝の窓口をやらせてもらっているほか、後半は掲載記事のディレクションなども行うようになり、徐々に業務の幅が広がっている。
高橋に頼むと"ラク"なのだ。たぶん。
8月
新潟県大規模ワクチンセンター
下半期の私の働き方を大きく変える出来事となったのが、この大規模ワクチンセンターだ。
当時、全国的にワクチンの接種が急がれている状況で、特に65歳以上のハイリスクな方への接種を、一刻も早く実施する体制が県全体で必要という状況であった。
そんな中、新潟県は全国でもいち早く、朱鷺メッセなど県内数ヶ所に大規模ワクチン接種会場を設置、朱鷺メッセでは、一日最大5,000人規模の接種に対応できる体制を構築していた。
そんな中、知り合いの県職員から大規模ワクチンで人が足りていない、もし余裕があったら手伝って欲しいという相談がきた。
奇跡的なタイミングでその日新潟市に滞在していた私は、すぐに朱鷺メッセに向かい、詳しい状況を聞き取り、意思決定者の方ともご挨拶ができた。
早速、その翌日からスタッフ用のビブスを着て現場に入り、運営体制の大筋を把握。
難航すると思われた契約も、大規模なイベント(コロコロコミックのイベントなど)の運営経験があること、他自治体での大規模接種のマニュアルを作成した経験があることが評価され、既に他の事業者と契約していた内容を少しだけアレンジしてもらうことで無事契約締結。
お盆前後からは毎週末、新潟市内の大規模接種会場に本部員、ないしディレクターとして入ることになった。
ろくすけ豆収穫イベント
ワクチン接種のディレクターとして働く一方、ろくすけ豆の収穫時期が迫ってきていた。
学生たちとのスケジュールを勘案すると、8月21日に収穫をやるのがベスト、ということになった。
先にオンラインで注文を取り、学生と私で豆を収穫、梱包、希望者への荷造りと発送を行なった。
これが4時起きとかでマジキツかったんだけど、でも、今年で絶えるはずのろくすけをたくさんの人に食べてもらうことができた。
あと、このイベントが終わってから、協力したいとかという声をもらうこともあるんだけど、個人的には、一番キツかった今年に何かしらの協力(購入なども含め)してくれた人にしか感謝を感じていなくて、はっきり言って、後出しジャンケンにまで対応する気はあんまりないってのが本音。
来年以降、ろくすけ豆の生産や販売は全て学生にお任せすることとしたので、豆を購入したい、支援したいなどというニーズがあれば、ぜひ私ではなく6次産業化クラブの学生たちに直接連絡を取っていただければと思う。
9月
医療調整本部
8月から始まった大規模ワクチンセンターも少しずつ終わりが来ていたのだが、その中での私の業務のひとつに、Twitterでのビジュアル作成というのがあった。
見る人が見たら、あれ、なんか県庁っぽくないビジュアルのツイートだと思うだろうけど、こういうちょっとしたビジュアルを工夫してあげるだけで、インプレッションが明確に伸びる。
このように、県の広報担当として培った情報発信の経験や、前職で培ったデータ分析についての知識などを県の医療調整本部というコロナ対策の本丸で活かしてみないか、ということで新たな職場で働くことになった。
当初は週末、現場仕事のみの予定だったのだが、県庁内に私の席が設けられ、月〜金で普通の職員のような働き方をする、ということになってしまった。
しかも、9月いっぱいの契約は11月末まで延長となった。
私の外泊率(年間トータル60%)の高騰はここから始まった。
NAVITIME Travel 記事制作ディレクション
改めて振り返ると、これがほんとヤバかった。
結果として、私の担当する記事は70本程度となったのだが、ライターやカメラマンによっても納品スピードやクオリティにかなりの幅がある。
しかも、漢字の表記などについてめちゃくちゃ細かい内部規定があり、これをチェックするのは正直キツかった。
それでもどうにか佐渡、上越は先行して原稿をもらえたのだが、それ以外の地域はスケジュールの巻き直しが必要で、平日昼間は県庁で勤務している私は、一度進行スケジュールを巻き直し、夜と休日をフルに使い大量の原稿の校正に追われる日々が続いた。
上半期振り返り資料作成
私が自治体相手の仕事をしているのは前述のとおりだが、自治体ってのはどこも上期を振り返りつつ、下期のやることと、来期に何をやるのか考えるという作業が9月あたりに発生する。
それも、複数件まとめてだ。
この月は、平日は県庁勤め、夜は原稿の進捗管理、週末は湯沢に戻って月次報告書の作成と原稿の校正という、本当に休みがないスケジュールで稼働していた。
とりあえず、山はなんとか超えたのだが…。
10月
医療調整本部
本格的に県の医療調整本部での勤務が始まった。
正直、守秘義務もあってかけないことも多いのだが、基本は、
・毎週日曜の夜に越後湯沢→新潟市に移動、日〜金は県庁前のホテル住まい
・8:30〜17:15まで、ほぼ職員のような形で県庁に勤務
という感じ。
11月
医療調整本部
10月とほぼ変わらない生活が続く。
内部的には色々と書きたいこともあるのだが、守秘義務等もあるのでなかなか難しい。
12月
医療調整本部
11月とほぼ変わらない生活が続く…というか、本当は11月末で契約が終わるはずだったのに、まさかの契約再延長になってしまった。
それも、来年の3月末まで。
求められるうちが花、とはよくいうが、プレッシャーもかなりあるので、来年3ヶ月はバーンアウトしないように気をつけつつ、トップギアで走り切りたいと思う。
LPのローンチ
12月31日、Office NoMadのLPがローンチした。
限られた時間かつ日中に作業時間が取れない中での制作となったが、Slackをフルに活用してなんとか形にすることができた。
ディレクターの原田さん、ライターのヤマシタさん、インタビューに答えていただいた方々に改めて感謝を申し上げたい。
2021年まとめ
まさか、古巣県庁で仕事納めをするとは思わなかったのだが、激動の一年、ひとまず振り返るとこんな感じだった。
ちなみに、途中で止まっている相続とろくすけ豆のnoteは、時間を見つけて別途書こうと思う。
それでは、皆さまよいお年をお迎えください。
来年は、何か仕事でごいっしょできれば大変嬉しいです。
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