2019ベルリン観劇記録(2)『Oratorium』
10月3日
Oratorium オラトリオ
劇場 HAU (Hebbel am Ufer)
舞台美術 Sandra Fox
衣装 Lea Søvsø
音楽 Max Knoth
ドラマトゥルギー Peggy Mädler
わたしがShe She Popの作品を観るのは、2011年にKAATで上演された『TESTAMENT 遺言/誓約』以来実に8年ぶりだ。『TESTAMENT』はシェイクスピアの『リア王』を下敷きに、出演者たちの実の父親を舞台に乗せて世代間継承問題を提示した良作。振り返ってみれば、自分が観てきたドイツで製作された舞台作品の中では、極めて共感性の高い上演だった。(ドイツの舞台は積極的に感情移入を求めないものが多い)
さて、昨夜観た 『Oratorium』である。そもそもオラトリオとは以下のようなものだ。
(イタリア oratorio 祈祷所の意から)キリスト教的題材をオーケストラ伴奏による独唱、合唱を用いて劇的に構成したもの。通常、演奏会形式で上演される。十六世紀半ば、イタリアの宗教音楽劇に始まり、十七世紀中頃、形式が確立。以後音楽の一形式として発達した。ヘンデルの「メサイア」、ハイドンの「天地創造」など。聖譚曲。(『精選版 日本国語大辞典』小学館, 2006)
この「合唱」の大部分を我々が担う観客参加型の上演で、これが非常に面白かった。ドイツ語を解するとはいえ、例えばハイライトで討論に参加できるシャウビューネの『民衆の敵』などは、私には流石にハードルが高い。一方『オラトリオ』は舞台背面に投射されるスクリプトにより、「全員」「ツーリスト」「東ドイツ出身者」「一部の皮肉屋」「演劇学の専門家」「住所不定者」などと発話者が指定されており、自分がそれだと思う部分のみ読み上げる形式だ。私は心置きなく参加できた。この「コーラス」が、その日そこに集まった観客の多様性を可聴化するのである。
さて、『オラトリオ』のテーマはdas Eigentum(所有物/財産/不動産)である。近年問題となっている家賃の値上げについてなど、観客と同じく様々な立場を代表する出演者が疑問を提示し、意見を表明していく。当日配布されていた解説によるとこうだ。
所有物はマインドを変化させる。友人との仲を裂き、他人を支配する力を与え、排除する。所有財産ほど私たちの社会や共生を成立させ、共同体の分断に作用するものはない。『オラトリオ』は、中産階級の人々、私的財産、社会参加の繋がりに光を当てようとしている。She She Pop の面々は、地域を代表するコロスと観客に相通じる所有財産について語ろうとし、個々の所有物の状況、財産の分配、そしてそれらと結びつけられる非難を見出そうとしているのだ。ブレヒトの教育演劇理論にインスピレーションを受けて生み出された対話型の上演では、様々なシュプレヒコールが利用され、私たちと財産の関わりについてディスカッションが行われる。話すことを許されるのは誰か? 誰がその場に居合わせ、誰がその場を代表するのか? 混じり合い、一致することがなく、常にその一瞬のみ得られる調和により、集団のモノローグが立ち現れる。(拙試訳)
印象的だったのは、定住している家や部屋を持たない一部の観客たちが舞台へ上った場面と、トランク一つ分の財産を携えてドイツへ移住した出演者の独白だ。持ち運べる所有物=動産と、持ち運べない所有物=不動産について考えさせられる上演だった。
最後に。英語が得意な方は、英語同時通訳の聴けるヘッドフォンをクロークで借りるべし。
ドイツで観られるお芝居の本数が増えたり、資料を購入し易くなったり、作業をしに行くカフェでコーヒーをお代わりできたりします!