熊野はこう考えた
SNSはもう古いんだろうなと思い、早一週間。
将来について強制的に考えなくてはいけない時期になり、早かれ遅かれ社会っていうものに馴染むか世捨て人として生きるかの選択をしなくてはいけないんだと考えていた。
我々の価値とはなんだろう。昔、ほんの少し前は、経済力という面が強かったろう。だが、今はどれだけ注目されているか、というのが価値と言っても過言ではないだろう。
そんな世界も、きっともうすぐ変わる。もうすぐに終わる。
私はSNSの、#○○好きな人と繋がりたい #○○な人と繋がりたい。というのに馴染むことができない。別に繋がりたくない。
特にDMで仲良くするなんて、できっこない。
ネット上の匿名性というのは、誰とも深くつながらないで、ファンでいられるという所で活躍していてほしいと思う。
時代は代わり、注目されていることよりも、新しいものを発見した人や、作り出す人たちの時代になるんじゃないだろうか?
今のネットの世界はなんとなく飽和状態だと思う。前の記事でも書いたが、サブカルチャーが大衆文化として取り入れられた時からすでに、この変化、ほぼ革命と言っても過言でないだろう変化がじわじわと進行しているように感じる。
いつでも、物事に大勢(大衆と呼ぶべきか?)が気がつくのは、それが終わったあとで、最先端にいるものは初めは異端とされるのだろう。
つながる時代が終わって、全ての人が、全ての人のファンであり、発信者の量と、受信者の量が近づいていく。そんな時代が来るだろう。(もうすでにそこにたどり着いたのかもしれないが。)
繋がりは、匿名から半匿名、または完全に、特定個人になるのではないだろうか?
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