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【ココロの旅#90】"全力疾走"-素的視点から

こんにちは、ここ数日の暖かさで自宅近所の桜が咲きました。それもある一本だけが。待ちきれずに、フライングですかね。

●久々の...我が全速力

先日、とある場所で、とある電車に乗るために、もう、数十年ぶりに全力疾走しました。

というのも、その電車を逃すと帰宅の時間が1時間も違うという状況だったもので、もう、走りました、走りました。

元々は、電車の前に乗った船の到着時刻からして、一本遅い電車に乗る予定を組んでいたのですが、当日、その船の到着が少し早くなったため、非常な無理をすればギリギリかというタイミングになり…

で、走りました、走りました。
で、電車に乗った0.5秒後に背後でプシューッとドアが閉まりました、漫画みたいに(笑)。

その後暫くは息切れ、ゼーハーゼーハー、咳込んだりもして、車内が空いていて周囲に乗客がいなかったことが本当に幸いでした。

普段から走ることがほとんどないのですが、走るとは、本当に全身運動ですね。リュックを背負っていたこともあるでしょうが、このほんの少しの(私レベルの)全力疾走でも全身の各部位が各々の機能フル活用で頑張ってくれました(そして疲労...)。
傍から見ると、全力疾走に見えなかったかもしれませんが(笑)、私はもう死に物狂いでした、一本遅らせても当初の予定通りで、特に悲惨な結末にはならないというのに(苦笑)。

大きな駅に着いて人が乗ってくるようになってから漸く息も落ち着いたのですが、この全力疾走と全身フル活用について、ちょっと何か思うところがありました。

はて、はて、一体何なんでしょうか?

●素的視点から

それは、がむしゃらに仕事をしていた自分の姿。

私自身はデスクワークがメインですので、その仕事は脳/アタマと目と口と手を使っていただけだと思っていましたが、よくよく思い起こせば、机に座ってPCをパチパチし画面越しに話をするだけとはいえ、身体そのものは私であり、私が仕事をするとは、やはり全身・身体を使うことなのですよね。

何が言いたいかといいますと、私のような思考先行型ヒトは「ヒト=脳/アタマ」と短絡的に思い込みがちですが、実のところ、脳/アタマはヒトの一部であって全てではない、感覚も身体の各部位/器官も全てが私なのですよね、そもそも。

上述の"がむしゃら時代"は、私の感覚や各部位/器官の活躍をほぼ無視して、というか、意識することなく日々を生き、知らず知らずのうちに思考による『仕事人間』という分厚い鎧をまとって平然としていました。
鎧の中の私はあざや傷が諸々あっただろうに、脳/アタマが「特に異常なし、健康です」という診断をしていたのでしょうか、実際に目に見えて身体の不調が現れるのはごくまれでした(笑)。

身体を大切にするということは、身体に良いものを摂取し、適切な睡眠時間を確保し、適度な運動をして、心地良い生活環境に身を置くということに尽きるのでしょう。

ですが、その前に、まずは、健康でも(特に不調な箇所がなくても)身体の声を聞くことだと、今は強く思っています。
精神・心そして思考を包み、それらを生かしているのは、全身の私、身体の私でもあるのですから。

・・・これが、あの全力疾走から一夜明けた、脱力状態の身体からのメッセージでした。

<今日の美>

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