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【ココロの旅#85】"桜梅桃李"-素的視点から

 こんにちは、カバー写真は木瓜(ぼけ)、ブログテーマのお花たちとともに、これから徐々に花を咲かせます。可愛らしいけれど、内に秘めた情熱を感じさせる、そんな姿に惹かれる人も多いのではないでしょうか。

●情熱と愛情とエネルギー

桜梅桃李ーなんて甘やかで香しい言葉なんでしょう!
文字を見るだけで、気分はもう殿上人、憂いも寂しさもなく、ひたすら愛に満ちた楽園を漂うような、このまま浮世を離れてしまいそうですが...

この、うっとりするような言葉、恥ずかしながら、私はつい最近まで知りませんでした。
実は、お仲間のゆーみんカウンセラーさんからこのlovelyな言葉を教えていただいたのですが、この表現の真の意味は見かけほど"甘く"はなく、

曰く「桜、梅、桃、李(すもも)は各々の花を咲かせ各々の魅力を持つ、人もまた然り。」

他者と比較するのではなく、自身の個性を大切に生きよ、という人生訓でもあるのだそう。

文字を見て能天気にもひとり楽園を夢想していた私ですが、この言葉を受けて、別のお仲間のjammingよこたにさんは、正しく意味を理解したうえで、不肖ワタクシにブログのテーマにしては?とありがたいご提案をくださいました。

それならばと、改めてこの言葉について色々と調べ、まず己の勘違いに気づき、その深い意味に唸り、「ふうむ、何をどう書こうか」と思いつつも、あの瑞々しい果実の図がチラつく、そのままでも美味だしジャムや果実酒もイケるしなぁフフフ...と、どうも筆が進まない。

そも、遠い昔の教えに新たな息吹を吹き込もうとする自体、笑止千万、全くおこがましいことで、思いつかなくて正解なわけです。

はて、はて、一体どうしたものか?

●素的視点から

袋小路に入った時は"散歩"(なんだかこの表現オモシロイですね!)が信条の私。
ま、何か思いつくだろうと、呑気に暫く歩いていると、不意に、最近聞いたコロナ鬱に関するニュースを思い出し、それには国として何らかの対策が必要といったことでした。

このニュースを聞いた時、思わず「えぇ?」と違和感が口をついて出たのですよね。
我々は社会や国家という一定の枠や制度の中で「生活」をしている訳ですが、鬱や不安といった「人が生きる」ことに付随して起こる、つまり、人が生きるからこそ立ち現われる事象と、国・対策という言葉がすぐに上手く結びつかなかったのです(無論、社会福祉や支援など国だからこそできる有効な政策の存在は認めたうえでの話)。

それから連想して、「鬱」の症状があったという身近な人のことを思い浮かべ、遡れば、小学生の頃(当時は今ほどに広く知られた言葉ではなかったかもしれませんが)、それが原因の心身の不調を患った生徒がいたことも思い出しました。

更なる連想で、高校時代に読んだ夏目漱石の「こゝろ」の"先生"が心に浮かびました。
この先生に亡霊のように付きまとう厭世観、さすがの私も「そ、そんなに人生を否定的に悲観的に捉えなくても...」と、どの箇所かは覚えていないのですが、一行ごとに涙を流していました(恥)。

それから、数十年、今は、ふとそんな人物を描いた作家のことを思い、精神の病を得たといわれる大作家がどのような姿で心持でこの”先生”を描いたのかに思いを馳せ、誠に勝手ながら、その視座を持って、この大作家を眺めるに至ったのでした。

そして、「あぁっ、そういえば!」と大切なことを漸く思い出したのでした。

それは、もう一人のお仲間イチカ・ドーパミントさんが回答していたとあるお悩み、というか、私には「詩人のもどかしい叫び」のようにも聞こえたのですが、この相談者と回答者を越えた言葉のやり取りを思い出したのでした(詳細はこちら)。

この両人の文章を読んで「熱やパワーは必ずや伝導する、真摯に生きている人に対しては」という確信を改めて得たのでした。

で、このように、情熱と愛情とエネルギーに溢れたマダムお三方に永遠の思春期の私がコバンザメ化し、

『訳ありな恋愛や訳ありな人生をしたたかしなやかに楽しみたいあなた』

向けに、webラジオ(stand.fm)を近日スタートする予定です(たぶん)。

配信準備ができ次第ご案内しますが、ワタクシ目はお三方の「アリガタイオコトバ」を引き出す役目、今からワクワクしております。乞うご期待😉

<今日の美>

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