【ココロの旅#8 】小学校時代-左脳的振り返り
こんにちは、熱中症が気になる季節となりましたが、皆さんいかがお過ごしですか。このブログを書き始めて、ようやくひと月。マイペースを守りつつ、続けていきたいと思います。
今回は左脳的に振り返る私の小学校時代のお話を。
私は父の転勤に伴い、4つの地域が異なる小学校に通いました。西日本と東日本の学校に行きましたが、内弁慶の外地蔵の私が、家庭の都合とはいえ、よくまあ、新しい土地・風習や文化・言葉に馴染んでいたと思います。前の学校で友達とお別れをして涙を流しつつも新しい学校への期待感もあり。転校先では、まずは、一張羅(死後?)を着て登校、教室で挨拶をして、、、を繰り返していました(某不動産会社のCMみたくキラキラではないです)。否応なしに広い社会性を身に着ける、初期の経験になりました。
ただ、西から東に行くときも、またその逆も、一番気を使ったというか、子供ながらに大切だと思ったのは「言葉」でした。東日本では方言はもとより、イントネーションが違って可笑しく聞こえるし、西日本に戻っても、今度は「標準語」は気取っていると思われるという環境にもまれました。比較的早く「言葉の壁」にも慣れていたようで、おかげで、今でも北・中部日本以外の言葉はすんなりと溶け込むことができます。
転校生ということで同級生から嫌がらせを受けたことはないと思うのですが、私が自然とまとっていた東西の風習や文化の差が、むしろ、教師などの大人達には鼻についたこともあったようです。東の先生には、西日本の保守的な(見方によっては遅れている)ものが透けて見えたようで、物分かりが悪いというようなことを言われたことがあります。一方、西の教師は、私のも物言いが子供のくせに知ったかぶりで小生意気に見えたらしく、何かたしなめられたような記憶があります。
両親は、どの学校でも上手くやって欲しい、周囲に迷惑をかけない子供であって欲しいうことで、躾に厳しかったです。当時の両親としては、(自身の転勤の精神的物理的苦労もあり)子供を心配しつつも自律させなくては、という気持ちが強かったのだと想像しますが、他の家庭の友達のような親子関係を見ると、羨ましいというよりも不思議で仕方がありませんでした。ただ、家族で出かけたり、本など子供にとって「良いもの」は惜しみなく与えてくれたと思います。
本は、実際、私にとって広い世界に連れて行ってくれる大切なガイドでした。学校推薦や課題図書は拒否(嫌い)、乱読派、しかも装丁で本を選んでいた節もあります。偉人の伝記もよく読みました。今でも、アルベルト・シュバイツァーの伝記は、氏の情熱がひしひしが伝わってきたことを覚えていますし、サファリ帽の精悍なシュバイツァーの顔が載っている表紙も印象的でした(図書館で本を借り、自分の図書カードと本のカードに氏名や期日などを手書きして司書さん預ける行為も、もう随分と過去のものになりましたね!)。
次回は、右脳的に振り返ってみたいと思います。
【今日の美・・・my current stockpiling books :)】
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