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【素的視点から#024】さ、行こう、この道を②

高校時代に、校内で「青年の主張」を模したコンテストがあり、国語の時間に書いた「幸せについて」のエッセイが、どういうわけか学年代表に選ばれ体育館の舞台で発表するということがありました。

あれほど世間や学校を斜に構えて眺めていた、およそ「青年の主張」が標榜する高校生とは対極にいた私。
書いたエッセイも若者の陽光の溌剌さよりも燻し銀のような渋さを感じるものでしたので、未だに選ばれた理由がよく分からない。

無論、入賞などするはずもなく、最優秀賞は正統派「青年の主張」のような、前向きに日々を友人家族社会のために生きるーといったものでした。

私の幸福論エッセイについては、確か講評が「自律的に生きることは大切だと分かるが溌剌さがない」だったと記憶していますので、ある意味こちらの意図はちゃんと伝わったと言えます(笑)。

このエッセイのヒントは、何かの本か新聞記事かで目にした、英国哲学/経済学者J•S•ミルの”自分が幸せかどうか自問するととたんに幸せでなくなる”という言葉でした。

ーそうだ!
幸せ?そんなフワフワしたものなど!
人は日々、己れで道を切り開きながら黙々と生きていくものなんだ。

修行モードな私の人生は、この高校時代からますます堂に入ったと言える(苦笑)。

あれから四半世紀…ここ数年の内的外的要因からあの抹香臭いモードも瓦解、あの崩れ方は清々しいほどでした。
([手放し]という穏やかな表現ではすまないほど、目の前にはあらゆる瓦礫の山が出来ました)

ただ、今の私が、あのミルの言葉を再び眺めてみると
…『博愛』という言葉が浮かんできます。

“この社会において誰もが「幸せ」すら意識しないほど、豊かな人生を歩んで欲しい。そのために自分ができることは何か?”と問い続ける姿が見えるのです(あくまでも個人の見解)。

人間・自由・民主・社会全体の幸福…

今頃、随分と以前の高校時代のエッセイを思い出すなど、ミルの言葉云々というよりも、むしろ私自身のこれからのテーマなのかもしれないと、そんな気がしています。

<今日の美>

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