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【素的視点から#007】私にとっての映画鑑賞

再びステイホームが日常となった今日この頃ですが、このムシムシした梅雨の最中の気晴らしには、やはり映画鑑賞が一番!
無類の映画好きでも、特に映画に詳しい訳でもないのですが、知らない世界を覗く楽しみが映画にはありますね。

今はオンライン&サブスクで映画を視聴するのが主流のようですが、この点、どいうわけか保守的(というか旧式)な私は●SUTAYAにせっせと足を運んでは地道にDVDを探しています、色褪せたケースの背表紙と睨めっこしながら。

この映画というもの、本と同じく、まあこの世には数多あることあること。
選ぶ映画のジャンルはほぼ決まっているのですが、それでも全てを視聴することは物理的に不可能、しかも毎月どころか毎週新作が追加されているのですから、もう...∞...

映画鑑賞は映画の選択の段階から既に始まっていることには間違いなく、「何を見るか」は真剣勝負、というと大袈裟に聞こえるでしょうか。

単に私が経済的合理性を人並み以上に追求しているというだけでもなくて、手に取った映画達とその後の数時間を如何に有意義なものにするかにやたらと躍起になるのか。
それは、1本平均2時間弱という時間のこの重み、貴重さか?
・・・といえば聞こえが良いですが、普段、ぼんやりしたり、ダラダラすること(主にツイ廃)に費やす時間は惜しくないのに、映画に費やす時間に対してはその有意義さを求めてしまう、どうしてこうも厳しいのかと我ながら滑稽な気がします。

レンタル費用も(新作/準新作は選ばないので)、例え「イマイチだなぁ」という作品でも大した出費ではないし大損ということはない。
なのに、なぜか、「イマイチだなぁ」の作品は心に墨のような染みが残るように感じる
・・・それが辛い。

映画製作は、皆さんご存知の通り、莫大な予算と時間がかかります。
何より、製作に関与したあらゆる人々や機関、場所、セットや小道具に衣装、音楽、そして観客を集めて映画を見せるための仕掛けなど、エンドロールを見れば、その天文学的な量のToDo(タスク)があることは明白。
その血と汗と涙、それ以上に人のエネルギーや情熱が、或いは、人生がかかっているというのに、その作品が、鑑賞者には「イマイチだなぁ」としか伝わらなかったら...

私が感じる辛さは、映画製作にかけた全ての人・財・技術・物品・自然環境の持つエネルギーが昇華することなく、むしろ、負の遺産、犠牲を強いるだけのものに成り下がる姿を見たくない、ということなのだと思います。

もっとも、私が勝手に「イマイチだなぁ」という感想を持っただけのことであって、その作品を高く評価したり感動したりする人もいることは間違いない。

私にとって、映画鑑賞は、剣道試合のようなもので、

・映画/DVDの選択=両者向かい合って目礼、蹲踞
⇒鑑賞開始=試合開始
⇒感動=イッポン,IPPON!
or⇒イマイチ=消化ならぬ昇華不良の試合...

映画そのものや鑑賞する時間幅云々というより、自分の選択、センス、興味関心などの精度が“勝ち負け“を決めるー要は全ては自分事である、「自分とつながる!」ということなのですね😉

<今日の美>

今年初めましての紫陽花

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