9/28 夏休みの名残と月末処理と秋の入り口と

出社日。同僚から「いつ頃来ます?」と確認の連絡が来るくらいの午後遅め出社。

出社したらしたで、同僚たちを巻き込んでお茶の時間にして、その後はひとりずつと仕事の話をしたり雑談したりで定時の1時間後まで話しっぱなしで居座る。みんなからしたら仕事の邪魔でしかないだろうけれど、まぁいいやと最近は開き直り始めた。たまには役にも立っているだろうし。
口はずっと動かしつつ、月末処理をかたづけた。えらい。

同じ会社内でも、ずっと忙しい人と、割と余裕ありそうな人がいる。会社全体の忙しさや職能とは関係なしに。
みんなそれぞれ、見えている景色も違って。なんというか、社会って会社ってそういうものだよな、というあきらめのような気持ちで輪の少し外から眺める。

まだ、夏休み旅をひきずっている。思い出してはぼんやりする。
普段はひきこもって、ときどき外に出て、必要十分な刺激を受けて、またひきこもってその刺激を反芻する、休む、あまりにも枯渇したら、また外に出る、刺激を受ける、こもって反芻する。そういうペースが自分にちょうどよいと感じる。刺激の多い日々はつかれるし、なさすぎても抜け殻になる。仕事もプライベートも、今くらいのバランスがいい。

海やら川やら滝やら、水のあるところが好きだ。見た目の涼やかさや雄大さなんかも好きでずっと見ていられるし、流れる水の音も耳に心地よく、ずっと聴いていられる。
旅先でそんな水のある風景を切り取ろうと動画に収めるのだけれど、満足がいった試しがない。見た目も小さな画面では物足りないし、音が、実際に耳で聞こえている音と録音されている音とでは全然違う。正確なのは録音された音なのだろうけれど、わたしが動画にしてまで持って帰りたいのは、わたしの耳で聴こえている、わたしの耳が水に集中して(他の音にフィルターをかけてボリュームを小さく調整して)聴いている、その音なのだ。多分、脳の調整ありきの音?
人が耳で自分の聞きたい音を聞いている、その音そのままをそっくり録音する技術みたいなの、ないのかなぁ。

ドライブ中の助手席で、遠くの山の稜線や、奥に重なる山々の奥行きによる色の違いを眺めるのが好きだし、もっと近くの山の、上辺に立っている木の枝のシルエットを愛でるのも好きだ。これからの季節、木の枝のシルエットがはっきりしてくる。山を眺めるのによい季節が来る。

今日は月が一層きれい。

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