5/14 教えてくれた人とセットで思い出す

平日。

今日も家の中はうっすら寒い。なぜなら、わたしが超薄着だから。寒いのには耐えられず、長袖のワンピースを重ねた。ちょうどよくなった。

布に覆われていたいときと、できるだけ薄着でいたいときがある。体表面の防御力の問題かな、と思う。特に肩まわり。守っていたいときと、開放的でいたいときがある。守っていたい≒守られたい・守りたい≒心許ない・不安、なとき? 寒さと関係あるのだとしたら、寒い≒心許ない・不安? ……と、よくわからない感覚の話でもあるけれど、「寒いんなら服を重ねましょうね」という、ただそれだけの話でもある。

去年の今頃の季節、遠いところにいる友達に、SNS越しで虫の名前を教えた。そしたら、今日、その子がSNSにその虫の動画とわたしの名前をセットで上げていた。その虫の名前を覚えてくれたこと、その虫の名前をわたしが教えたことまでいっしょにして覚えていてくれたことがうれしくて、じんわりあたたかくなって、思わずメッセージを送った。1年ぶり。

「好きな男の人には花の名前を教えろ、その花が咲くたびに相手はあなたを思い出す」みたいな話、わたしの初見は有川ひろの小説だけれど(『植物図鑑』かな、多分)、虫でも同じことが起きるんだな、などと思った。ほっこり。

人に教えてもらったことを思い出すときは、その人もセットで思い出す、あると思います。あるある。おいしいものとか、曲とか。
ってことは、人と交流して、いろんな知識と結びついていく方が、人生どんどん豊かになっていくよな、などと考える。けれども、自分の気持ち的にはここのところ閉じモードだ。なのに、実際は人に会う予定や外に出ていく予定がどんどん詰まってきていたり、連絡が来たり自分から連絡したりと、無理やり開いていくモードなのだけれど。なんなんだろうな。気持ちの向きと現実にズレがあるぞ。気候的にも、雨続きになる前の今時期は、外に開いた方がよいような気はするなぁ。わたしのメンタル、どうした。

それにしても。わたしは、教えてもらう側ばっかりな気がするな。意識して人に何かを教えたり情報を渡したりしている記憶がほとんどない。今回の虫の話はめずらしい例外で。わたしの中には、人に教えられるほどの情報が入っていない気がする。あ、本やマンガの話はするかなぁ。でもそれくらいかなぁ。なんか、物々交換じゃないけれども、人に渡せる知識や知恵を持ちたいよ。

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