8/19 雨宿りの光景

819。ハイキュー!!の日。
あちらこちらで公式非公式問わずお祝いしているのを見かけてうれしい。

夜のはじまりの時間、外は雷がピカピカしているざんざん降りの雨、傘を持たずに出かけた夫を駅まで迎えに行った。

濡れてもいいように丈眺めのTワンピとビーチサンダルで出かけたら、マンションを出た時点で排水溝が溢れていて、足裏ががっつり水に浸かった。Tワンピの裾が濡れそうで、なるべく裾が持ち上がるように肩をいからせて歩いた。多分はたから見たら変な人だったと思う。

駅からマンションまで、屋根があってほとんど雨に降られない隠し通路的な裏道があって、普段は人とすれ違うことは稀なのだけれど、今日は駅に着くまでに6人くらいとすれ違った。みんな、この道の存在は知ってるんだな、と思った。人とすれ違うたびに空が雷で光って、みんな建物側ではなく空を見ていたのがおもしろかった。光る空、ピンクみを感じる明るい紫色をしていた。

お店の軒先や駅の出口に、雨やみ待ちなのかお迎え待ちなのかただ途方に暮れているのか、たくさんの人がそれぞれに距離を取りながら暗い中で立っていた。何気ない場面だけれど、「夏の突然の大雨、雨宿りの光景」として印象に残った。

今週の週刊少年ジャンプ(まだ読み途中)。(大したことは書いてないけどネタバレ注意)

『僕とロボコ』がヒロアカ愛に溢れていてよかった。そうなのだよね、ヒロアカロスには違いないのだけれど、「悲しい」ではなくて、「さびしい」なのだよな。でもいろいろひっくるめて「よかった! 大満足! ずっとおもしろかった!」という気持ち、ということを再確認した。
パリオリンピックの男子バレーもだけれど(最近なんでもかんでもバレーに結びつける)、完全燃焼して終われば・悔いの残る終わり方しなければ、「終わってさびしい」はあるけれど、「おもしろかった!」「たのしかった!」「満足!」って気持ちで幕を閉じられるのだよな、と思った。(ついでに、自分の人生のいろいろ、悔いの残る終わり方したことがすぐに思いつくだけでもいっぱいあるな……と思って凹んだ……)

『呪術廻戦』の中に出てきた「手癖で作った料理を食べて」という表現が刺さって抜けない。ありふれた日常の、あたたかなしあわせの1コマ。手癖で作れるくらい作り慣れている、馴染みの味・馴染みのメニュー。1文に、そこまで積み重ねてきたしあわせな時間の経過まで込められている。前後の文章・ストーリー含めてで揺さぶられた。すごいな、ありふれた日常の描写。
呪術廻戦、あと5話で終わるらしい。ヒロアカのときもそうだったけれど、完結までの話数カウントダウン、さびしい。カウントダウンな完結予告いらないよ、勝手にそろそろ終わりが近づいてきていることを察して覚悟しつつ、「次週、最終回!」とかでいいよ、と思ってしまうけれど、どうだろう。少数派なのかな。

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