マクベス

インプットもアウトプットもモチベーションが落ちている感じがする。具体的にはゲームをする気が全然起きない。フレデリカちょっと気になってるけど体験版やってみる気力がないや。

なんとか読書は隙間時間にしている。YouTubeでラジオを聞いたりもする。そういう受動的なインプットはできても、ゲームのように「自分で操作する」というのが加わると途端にめんどくさいというか……。そんな時期かもしれない。

先週はシェイクスピアの『マクベス』を読んだ。シェイクスピアの四大悲劇って、あらすじこそ知っているが読んだことはなかった。先日読んだポアロシリーズの『ハロウィーン・パーティ』でポアロがある女性のことをマクベス夫人に例えていたり、昔テレビで『マクベス』の一場面を出演者が朗読するのを見たときに「その気性では男の子しか産めまい」みたいな台詞があって、どういうこと??と思っていたので、一度通しで読んでみようか、と思った。

読んでみた感想としては、正直あまり悲劇には思えなかった。マクベスが王妃になりたい妻に唆されて王を殺し、その報いを受けて破滅する話だから、まぁ当然の報いというか、正当な王を殺して王位に就いてるからそりゃそうなるよね、としか思わなかった。マクベス夫人も案外気が小さいというか、稀代の悪女という感じはしなかったな。夫を唆して王を殺させておきながら、それによって心を病んで自殺するのはかなり小者というか、王妃になりたい!という短慮で行動してその先どうなるかあんまり考えてなかった感じがした。あとマクベス夫妻はラブラブなんだよな。そこはけっこう意外だった。

「男の子しか産めまい」のくだりは、私が読んだ翻訳では「男の子を産むがいい」みたいな感じだったかな。マクベスには子供がなく、跡継ぎがほしい的な台詞だったのかもしれない。

あさのあつこさんが中学生・高校生相手に『マクベス』の授業をしたものも読んだ。あさのさんの解釈は、マクベスは王になりたいというよりは、親友のバンクォーに勝ちたかったのではないか、というものだった。(バンクォーは「子孫が王になる」と予言されている。後にその予言をおそれたマクベスに殺されるが息子は逃げ延びる。)バンクォーには勝てないとどこかで感じていて、魔女の予言を聞いて「勝ちたい」の思いが強くなったのではないか、そういう「勝てない」側の人に強く共感する、という話だった。天才が側にいてどうしたって勝てない者の話だから悲劇なのだと。この解釈が正しいのかは私には分からないが、自分で読んだだけだと出てこない解釈だった。

一度歌劇バージョンのマクベスも観てみたい気もする。

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