髪と物語(うろ覚え)


 アニメ「PSYCHO-PASS」が面白かった。

 面白かったんだけど、ふと「槙島聖護はどこで髪切ってるんだろう」と気になった。シビュラシステムでは裁けないサイコパス、槙島聖護。彼は髪を切るときに「後ろ髪は切らないでください」とオーダーするのだろうか。

 そもそも、彼は髪を切ってもらうのだろうか?


 アニメやドラマ、映画などで食事シーンはあれど、髪を切るシーンは比較的少ない。しかし、生きていれば腹が減るように、生きていれば髪は伸びる。

 いや、腹が減らなくなっても、髪は伸びるのだ。

 『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』の式波・アスカ・ラングレーの腹は減らない。眠ることもない。それでも髪は伸び続ける。アスカは「こんな体になっても伸びるなんてうぜえ」みたいなことを言いながら、真希波・マリ・イラストリアスに切ってもらう。マリは髪が伸びることが人間の証拠だと言う。「頭髪には髪も汚れも煩悩も宿っている。まさにカオスなヒトの心の象徴よん」。

 人間と同様にエネルギー源を補充する必要がロボットでも、髪が伸びることはない。映画「エクス・マキナ」をふと思い出す。AVAは人間のように振る舞うため、カツラのようなものを装着する。

 ところで、マリがアスカの髪を切るシーンは、2人の親密さを表しているのかもしれない。

 西尾維新〈物語シリーズ〉の「偽物語」で阿良々木暦は妹・火憐との歯ブラシプレイ前にこんなことを言っている。「心理学的にも、髪の毛を触るってのはかなり親密な間柄じゃねーと許されないことらしくってな。女子とかにゃー身体触られるよりも髪の毛触られる方が嫌だってやつもいるそうじゃないか」。『偽物語』では、阿良々木暦と忍野忍の和解シーンが描かれているが、そのとき阿良々木が忍の髪を洗っていた。

 〈物語シリーズ〉では髪がよく出てくる。

 『花物語』では、神原駿河が阿良々木に髪を切ってもらうシーンで終わる。願い事を叶えるために殺しかけた阿良々木暦に対してのケジメとして、か。
 『囮物語』では、阿良々木月火に前髪を切られた千石撫子は豹変して、担任教師を罵倒する。クラスメイトにアジる。前髪は彼女にとって、感情を隠し、他人とのコミュニケーションを遮断する「壁」だった。

 髪を切ることが「変化」だと受け止められることも多い。髪をバッサリ切ったときに「何かあったの?」と聞かれたこと、聞いたことがある人も少なくないだろう、多分…。

 『ローマの休日』で、街を散策を始めた王女がまず向かった先は理髪店(美容室?)。バッサリと切った髪型は現実世界で「オードリーカット」として一世を風靡する。髪を切ったのは、変装のためか、はたまた「王女」から「普通の人」への心的変化を期待したか。

 江戸から明治へと移り変わった日本にとっても「散髪」は大きな変化の象徴の一つだった。日本史研究者の森杉夫は『文明開化期の散髪と断髪』という論考のなかで、明治期の堺県を中心に「明治の生活・風俗のなかで大きな変革」をみたものとして「散髪」受容の変遷を辿る。

 森の論考では、従来の慣習の根深さから政府が男児の散髪普及に手を焼いていたことがわかる。政府にとって「散髪奨励は、徴兵のためであり、「強兵」に直結するものであるから強制」した。散髪に応じないものに対する取り締まりも行なったという。

 一方で女性はどうか。

政府や県の強制にもかかわらず、男子の散髪がなかなか行なわれなかったのに反し、文明開化・旧物打破、あらゆる階級の解放という世の動きが、早くも明治五年前後に女性の断髪を促し、女性がそこにささやかな解放感を昧わおうとする風潮
が生まれた。

 しかし、男性の散髪を推奨していた政府は、女性の断髪を禁じた。「女性たるものは、古来より「女タル風躰」をして、断髪してはいけない」というのが理由だ。どういうこっちゃ。

 食と農の歴史や思想について研究している藤原辰史の『縁食論 孤食と共食のあいだ』(ミシマ社、2020年)には〈食べる場所は、地域の仕組みの改善から国家転覆の革命まで、大小さまざまな世直しの拠点にもなりうる〉と記されている。だが、理髪店もまた人が集い、交流し、縁が生まれる。「拠点」となる可能性を秘めている。

 Netflixドラマ『アンブレラ・アカデミー』シーズン2では、過去に戻ったアリソンが黒人差別反対運動に参加することになるが、その拠点が理髪店だった。彼らは営業を終えた理髪店で、あれやこれやを話し合う。

 このドラマではもう一つ、理髪店のシーンが重要な役目を果たす。シーズン1の7話では、死者と会話することができるクラウスが、父・ハーグリーブス卿と架空の理髪店で再会する。そこで初めて、父の死の意味を知る。なぜ、兄弟たちを再び集めることになったのか–。

 情報を求めて、権力側が理髪店に立ち寄ることもある。事実を基に制作された韓国映画『大統領の理髪師』では、情報機関に勤める人がソン・ガンホ演じる理髪師のハンモを訪ね、「今夜、怪しいやつが出たら教えてくれ」と頼む。きっちりと「仕事」を果たしたハンモは、この件がきっかけとなって、大統領の理髪師となる。

 しかし、街の理髪店と異なり、官邸の一室での大統領と理髪師の関係において「縁」は生まれない。ハンモは行方がわからなくなっている息子の消息を聞きたくても切り出せない。結局、息子が拷問を受けているのを知るのは「宴席」の場だった。

 藤原辰史の『縁食論』では、下田淳『居酒屋の世界史』(講談社現代新書)を挙げて「当時の居酒屋もやはり、酒を飲むだけの場所ではなかった。散髪もできるしボウリングもできる。さらには外科手術もしたり、求人の広告が貼ってあったりもする」(P.46)などと紹介している。

 ジョニー・デップ主演のミュージカル映画『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』は、パイ店と散髪屋が舞台の物語だった。2階の理髪店は殺人の舞台、1階のパイ屋は死体の処理する場所として機能した。理髪店が評判となり客(材料)が増えれば増えるほど、下のパイ屋も儲かった。最終的にはパイ屋の方が儲かっていたように見えるが…。


 槙島聖護の武器である剃刀は、スウィーニー・トッドが元ネタだという話がネット上にあるけど、信憑性は分からない。

 考えてみれば、槙島は自分で髪を切っていたのかもしれない。それなら後ろ髪が長いのは、伸ばしているのではなく単に切れないだけか。

 槙島は、狡噛慎也に「貴様は孤独に耐えられなかっただけだ」と言われて、「おもしろいことを言うな。孤独だと?それは僕に限った話か。この社会に孤独でない人間など誰がいる」「君だってそうだろ?」と返しているんだけど、狡噛の後ろ髪は短い。

 つまり、後ろ髪を切ってもらう人がいるということである。

 はい。

 散髪が出るアニメや映画、ドラマを思い出しながら書いてみたものの、記憶があやふやなので間違っている点があれば、すみません。他に何か印象的な作品があれば、教えてください。また散髪に着目した批評などがあれば知りたいです。

 PSYCHO-PASSシーズン2で執行官の東金朔夜が子どもの頃に母親に髪を切ってもらってるシーンがあった。あれも別れのシーンで意味深だったが、そういや大人になった東金も後ろ髪ちょっと長めだな…。

 ウルフカットなるもの、狐狼を表しているのかもしれん…。(嘘)


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