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エミリア・ガロッティ/折薔薇 (上演台本)

作  ゴットホルト・エフライム・レッシング
翻訳 森鴎外+トランスレーション・マターズ
翻案・演出 木内宏昌



台本の現況


これは、トランスレーション・マターズ上演プロジェクト2023『エミリア・ガロッティ/折薔薇』(2023年10月、すみだパークシアター倉)のために構成・翻訳・翻案した上演台本です。

『エミリア・ガロッティ』は、1772年ごろにドイツの啓蒙思想家でもある劇作家ゴットホルト・エフライム・レッシングによって書かれ、"世界初の市民悲劇"と呼ばれることがある戯曲です。作品の舞台設定は明確には記されていませんが、戯曲に現れる固有名詞から推定できることとして、作家が生きた時代よりも一時代前のイタリアを舞台にしているようです。

この作品の本邦初訳である森鴎外(当時森林太郎)訳『折薔薇』 と、トランスレーション・マターズの翻訳者による現代語翻訳を織り交ぜたテキストになっています。

鴎外が『折薔薇』で用いた台詞は、翻訳当時(1889/明治22年)よりも古い言葉によって書かれています。鴎外の原文表記は現代人にとっては発語が困難なため、現代仮名遣いにしています。さらに、鴎外は用いなかった「?」や「!」などの記号も付け加えるなど、表記上の改変をしています。

上記に加え、下記のような翻案を行っています。

まず、今回の上演台本では、鴎外の翻訳に現代語訳を織り交ぜる試みをしていますが、ゴンザーガ公爵や側近マリネッリなど、概ね、宮廷に近い人物には鴎外訳『折薔薇』の古い時代の日本語を用い、若いヒロイン・エミリアの台詞は現代語にしています。

また、原作に付け加えた言葉はありませんが、上演意図、演出プラン、時代性を鑑み、カットした台詞があります。さらに、数カ所において繰り返される台詞、時間が遡る場面があります。これらのト書きと、装置転換に関するト書きについては、加筆部分として太文字にしています。


公演パンフレット挨拶文


登場人物(登場順)

ヘットーレ・ゴンザーガ(殿下=ガスタッラ公国の君主/公爵)  村岡 哲至
カミーロ・ロータ(書記官)                  森島 美玖
コンティ(画家)                       関根 麻帆
マリネッリ(ゴンザーガの侍従・貴族)             古河 耕史
クラウディア・ガロッティ(エミリアの母)           大沼百合子
ピッロ(ガロッティ家の家僕)                 片岡正二郎
オドアルド・ガロッティ(エミリアの父・大佐)         斎藤 直樹
アンジェロ(賊)                       荒井 正樹
エミリア・ガロッティ                     上原 実矩
アッピアーニ伯爵(エミリアの婚約者)             菊池 夏野
オルシーナ伯爵夫人                      高畑こと美
バティスタ(マリネッリの家臣)                近藤  隼


プロローグ グリマルディ卿の夜会

            (妖しげな舞踏会のイメージ。
                夜会の人々。
    母に連れられ訪れたエミリア・ガロッティが夜会をさまよう。
    エミリアを見初めるゴンザーガ。
    音楽の終わりとともに夜会のイメージも終わる)
    装置転換。


第一幕 ゴンザーガの執務室 その1〜8


その1 ゴンザーガ、書記官カミーロ・ロータ


ゴンザーガ (机に寄りかかり、山のように積まれた書類を一、二枚、
あわただしく読みながら)
なに、お願い書き?
どれを見ても願い書きばかり、ええい、うるさい仕事じゃ–
しかし世間では身どもをうらやましがっておる。
どのような願いでも聞き届けてやれるものならうらやまれるに釣り合うが–なに、エミリア?–
(と、一枚の嘆願書を取り上げ、差出人の名を見る)
これもエミリア?–
しかし家名はブルネスキー、ガロッティとは大きな相違。
願いの主意はなにごとか?
名前がエミリアじゃから、ええ、許してつかわそう。
(と見比べて名を記し、鈴を鳴らす。書記官ロータ、登場)
マリネッリは出仕いたしておらんか?

ロータ    まだ出仕いたされません。

ゴンザーガ  けさは身どもがあまり早よう起きたからじゃな。
天気は好し、今からマリネッリと馬車で出る、
出仕次第、ここへ呼んで参れ。
(従者、退場)
ああ、もう事務は執れん。
身はよく落ち着いていた、
落ち着いていたつもりじゃが、
なんでまた願い人のブルネスキーが
エミリアと名乗らなければならんのじゃ?
落ち着くどころか、
とにもかくにもなくしてしもうたようじゃ。

ロータ   (入って来て)
マリネッリ公へはお迎えを上げました。
これはオルシーナ伯爵夫人からのお手紙であります。

ゴンザーガ  なに、オルシーナから–
そこに置け。

ロータ    お使いが待っております。

ゴンザーガ  待っておるなら返事もやろうが、
一体夫人はどこにいる?
市中にいるか? ドサーロか?

ロータ    きのう市中においでになりました。

ゴンザーガ  しまった–
いやなに至極結構。
それならばなおのこと返事は要らぬと使いに申せ。
(ロータ、退場)
オルシーナ伯爵夫人–
(と、顔をしかめて言いながら、手紙を手にとり)
ああ、読んだも同じこと–
(と、手紙をそのまま投げ捨て)
なるほどあれをもかわゆく思ったこともあるようには思われる、
しかし、ほんの一時のこと。

ロータ   (入って来て)
画工のコンティが参りました。

ゴンザーガ  なにコンティが来た?
苦しゅうない、これへ通せ。
彼に逢うたら下らぬことを忘れてよかろう。
(と立ち上がる)


その2 コンティ、ゴンザーガ

ゴンザーガ  コンティか。
よく参った。
近頃美術はどうじゃな?

コンティ   殿下–
とにかく美術というやつは食い物ばかり探したがるやつであります。

ゴンザーガ   そりゃいかん。
せめてこの狭い領内だけでは、そんなことではいかんぞ。
しかし美術家のほうでも、随分精を出さねばならんな。

コンティ   精を出すのはそれは楽しみでありまするが、
あまり精を出しすぎると美術のひんが下がり名前も落ちまする。

ゴンザーガ  むやみにたくさん仕事をいたせとは言わん。
少しのものを緻密にいたせと言うのじゃ。
きょうは空手(からで)で来はすまいな。

コンティ   きょうは兼ねてお誂(あつら)えの肖像を持参いたしました。
しかしそのほかにお誂えでない品を。
ご覧になるほどの値打ちは十分に−

ゴンザーガ  誂えとは–
どうも覚えがないようじゃが。

コンティ   オルシーナ夫人の。

ゴンザーガ  ああ、確か–
しかしその誂えはだいぶ昔のことじゃぞ。

コンティ   どうもご夫人がたは、
いつでも型に据わってくださる訳に参りません。
三カ月前からでやっと一度据わってくださりました。

ゴンザーガ  その画はどこにある?

コンティ   いま持って参りましょう。


その3 ゴンザーガ


ゴンザーガ  あれの肖像–
よいわ、見よう。
なに、肖像だ。
あれに逢うのではなし。
ことによったら、あれにはないいいところが
絵では見出されるかもしれん。
しかし見出したくはないて。
あれをかわゆく思ったころは、
身もどんな気軽な、さばけた、楽しげな男であったろう。
それにいまではまるで倒(さか)さまになってしもうたから。
しかしいやじゃ。
ああ、いやじゃいやじゃ。
気楽でも気楽でのうても。やはりいまのほうがよいわ。

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