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個人的2023年ベスト映画

今年劇場鑑賞した映画で、特に印象に残ったものを10本選びました。


10.アステロイド・シティ

1955年、アメリカ南西部の砂漠の街アステロイド・シティ。隕石が落下して出来た巨大なクレーターが観光名所となっているこの街に、科学賞を受賞した5人の少年少女とその家族が招待される。子どもたちに母親が亡くなったことを言い出せない父親、映画スターのシングルマザーなど、参加者たちがそれぞれの思いを抱える中で授賞式が始まるが、突如として宇宙人が現れ人々は大混乱に陥ってしまう。街は封鎖され、軍が宇宙人到来の事実を隠蔽する中、子どもたちは外部へ情報を伝えようとするが……。

最初から最後まで全てが虚構で良かった。戦争、宇宙人、核実験、母親の死。全てこの世のどこかで起きているかもしれない出来事なのに、そのどれもがポップで嘘臭い。皮肉なことにその嘘っぽさに現実世界で起きている社会的事象を想起してしまう、という構図が妙だった。



9.J005311

第44回ぴあフィルムフェスティバル「PFFアワード2022」にて満場一致でグランプリに輝いたロードムービー。

思い詰めた表情で街へ向かう男・神崎は、タクシーを拾えず道端に座り込んでいたところで、ひったくり現場を目撃する。神崎はひったくり犯の山本に声をかけ、100万円の報酬を払う代わりにある場所へ連れて行って欲しいと依頼。山本は不信感を抱きながらもその依頼を受け、2人の奇妙なドライブがスタートする。

説明的な描写はほとんど無く、登場人物に密着するようなカメラワークはとにかく見づらく、1カットが極めて長く、何も変化が起きないような時間が大半を占める。録音環境も劣悪で、登場人物が何を言っているのかもはっきり聞こえない。

しかし、この作品の極端な不親切さこそが、逆説的に物語に深みを持たせている。この男はどこへ向かおうとしているのか、何を思い何を伝えようとしているのかを、登場人物の些細な表情の変化から読み取ろうとさせる。退屈せずラストシーンまで粘り強く観つづけてほしい。



8.いつかの君にもわかること

「おみおくりの作法」のウベルト・パゾリーニが監督・脚本を手がけ、余命わずかなシングルファザーが息子の新しい家族探しに奔走する姿を描いたヒューマンドラマ。

窓拭き清掃員として働きながら、4歳の息子を男手ひとつで育てる33歳のジョン。不治の病に冒され余命宣告を受けた彼は、養子縁組の手続きを行い、自分が亡き後に息子が一緒に暮らす“新しい親”を探し始める。理想的な家族を求めて何組もの候補と面会するが、息子の未来を左右する重大な決断を前に、ジョンは進むべき道を見失ってしまう。献身的なソーシャルワーカーとも出会い、息子にとって最良の選択をしようとするジョンだったが……。

派手なストーリーの起伏は無いものの、窓越しの他人の豊かな生活をいくつも見つめ、養子縁組の面談を何度も重ねながら、息子にとっての幸福と自らの死生観について考えていく素敵な映画だった。ジョンが白線の上を落ちないように歩くシーン、切なすぎるぜ。



7.枯れ葉

フィンランドの名匠アキ・カウリスマキが5年ぶりにメガホンをとり、孤独を抱えながら生きる男女が、かけがえのないパートナーを見つけようとする姿を描いたラブストーリー。

フィンランドの首都ヘルシンキ。理不尽な理由で失業したアンサと、酒に溺れながらも工事現場で働くホラッパは、カラオケバーで出会い、互いの名前も知らないままひかれ合う。しかし不運な偶然と過酷な現実が、2人をささやかな幸福から遠ざけてしまう。

好きな相手のために食器を買ったり、食事を作ったりするという行為が、万国共通でこれほどかけがえのないものであることに嬉しくなった。

食前酒(アペリティフ)を一気飲みするシーンとか、最後まで若さにしがみつこうとするカラオケ王が滑稽で良かった。



6.ゴーストワールド

ダニエル・クロウズのカルトコミックを原作に、疎外感を抱えて生きる少女2人の日常をポップかつユーモラスに描いた青春ドラマ。

幼なじみで親友のイーニドとレベッカは高校を卒業したものの、進学も就職もせずに気ままな毎日を過ごしている。そんなある日、2人は悪戯心から、新聞の出会い広告欄に載っていた中年男シーモアを呼び出して尾行する。イーニドは冴えないシーモアになぜか興味を抱き、彼の趣味であるブルースのレコード収集を通して親交を深めていく。一方、レベッカはカフェで働き始め、イーニドとレベッカは次第にすれ違うようになっていく。

卒業式を終え、校舎に向かって中指を立てるシーンで名作を確信した。社会に迎合しようとするレベッカと、現代的な価値観に対するアンチテーゼを抱えながら生きるイーニド。資本主義に順応するのにも、興味のあるアートやカルチャーを突き詰めたりするのにも同じくらいの覚悟と熱量が必要なんだろうな。

「彼の良さを分かってあげているのは自分だけ」と思い込むイーニドの存在が、シーモアの目に魅力的に映らないのは、彼が確固たる自分の世界を持っているからであり、イーニドにはそれが無いからだろう。何者にもなれず幽霊のように街を彷徨わないために、おれも仕事や趣味に誠実に向き合おうと思った。



5.aftersun / アフターサン

11歳の夏休み、思春期のソフィは、離れて暮らす31歳の父親カラムとともにトルコのひなびたリゾート地にやってきた。まぶしい太陽の下、カラムが入手したビデオカメラを互いに向け合い、2人は親密な時間を過ごす。20年後、当時のカラムと同じ年齢になったソフィは、その時に撮影した懐かしい映像を振り返り、大好きだった父との記憶を蘇らせていく。

前半はトルコの青々とした空や海の映像がシームレスに繋がり、DVカメラを通して父と娘のヴァカンスの様子が紡がれる。

娘のソフィは父親と過ごす以外の世界にも気付いていき、次第に大人になっていく。一方、31歳になるカラムは父親としての責務を立派に果たしながらも、ふと自身の過去(おそらく性自認)に関する深い悲しみに襲われる。

物語の後半でカラムがソフィに伝えた「何でも話してほしい」というメッセージは、娘の将来を思う気持ちだけでなく、苦悩を打ち明けることができなかった過去の自分へのメッセージでもあると思った。

テレビや鏡に反射する2人を定点で映した長回しのカット、今年観た映画で一番良かったな。

ラストシーンは不思議な形で幕を閉じたけど、人の感情というのはそんなに分かりやすいものではないし、このくらい多様な解釈を許す方が作品として面白いと思った。



4.まーごめ180キロ

お笑いコンビ・ママタルトの大鶴肥満が随所で口にする“まーごめ”の真髄に迫る。2023年のライブで上映された映像を再編集し、彼の芸名の由来の大鶴義丹の発言“まーちゃんごめんね”に端を発する言葉の全貌を紐解く。檜原洋平と“ママタルト”を組む巨漢の大鶴が、あらゆる局面で放つ“まーごめ”。学生時代や祖母や実父との関係性の中で傷ついてきた大鶴の軌跡や新たな恋の行方を追いつつ、芸人仲間の証言も交えて謎の言葉を深堀りする。

"大鶴肥満というのは、まーごめの器でしかないんですよ。大鶴肥満は空っぽで、まーごめを注ぐことで大鶴肥満が完成する。"

めちゃくちゃ笑った一方で、学生時代に受けていた壮絶ないじめを語るシーンや3年ぶりに訪れた実家での不和はかなり心にくるものがあった。2時間の密着映像を通して、大鶴肥満の「まーごめ」は単なるギャグではなく、心の隙間を埋めるための魔法の言葉のように聞こえた。



3.RRR

1920年、英国植民地時代のインド。英国軍にさらわれた幼い少女を救うため立ち上がったビームと、大義のため英国政府の警察となったラーマ。それぞれに熱い思いを胸に秘めた2人は敵対する立場にあったが、互いの素性を知らずに、運命に導かれるように出会い、無二の親友となる。しかし、ある事件をきっかけに、2人は友情か使命かの選択を迫られることになる。

昨年10月公開の映画だが、観るタイミングを逃してしまい年を越してしまった。まさに友情・努力・勝利という感じで、テーマパークのアトラクションに乗ったみたいな爽快感と充実感があった。



2.エドワード・ヤンの恋愛時代 4Kレストア

急速な西洋化と経済発展を遂げる1990年代前半の台北。企業を経営するモーリーは、自分の会社の経営状況も、婚約者アキンとの仲も上手くいかずにいる。モーリーの会社で働く親友チチは、モーリーの仕事ぶりに振り回され、恋人ミンとはケンカが絶えない。そんなモーリーとチチの2人を中心に、同級生・恋人・同僚など10人の男女が2日半という時間の中で織りなす人間模様を描き、心に空虚感を抱える彼らが自らの求めるものを見いだしていく姿を映し出す。

『牯嶺街少年殺人事件』(1992)と比べるとストーリーは随分と分かりやすく、メロドラマ的。登場人物は相手の話を遮りながら自分の思いを吐き出し、すれ違い続ける。色鮮やかな台北の街から、灯りのない空間へと映像が移り変わっていくにつれて、自分が本当に望むことに気付き、親密さを獲得していく。素晴らしいラストシーンだった。



1.PERFECT DAYS

東京・渋谷でトイレの清掃員として働く平山。淡々とした同じ毎日を繰り返しているようにみえるが、彼にとって日々は常に新鮮な小さな喜びに満ちている。昔から聴き続けている音楽と、休日のたびに買う古本の文庫を読むことが楽しみであり、人生は風に揺れる木のようでもあった。そして木が好きな平山は、いつも小さなフィルムカメラを持ち歩き、自身を重ねるかのように木々の写真を撮っていた。そんなある日、思いがけない再会を果たしたことをきっかけに、彼の過去に少しずつ光が当たっていく。

繰り返される一日のルーティンと、トイレ清掃に対する丁寧な仕事ぶりに平山の几帳面さと献身性が浮かび上がってくる。

不満の無い日々を過ごしているように見える彼だが、姪のニコには「(妹と自分は)住む世界が違う」と話す。平山が清掃する公衆トイレはどれもデザイン性に優れた綺麗なものであり、その違和感が利用者と管理者、貧富の隔たりをより強くしているように感じる。小さな幸せを見つける彼の生活は彼自身が望んだものではなく、家族との不和をきっかけとする、諦めの末にあるものではないか。

居酒屋ママの元夫、友山の言葉をきっかけに、平山は父親との確執と向き合う覚悟が出来たのだろうか。素晴らしい映画だった。10段階で言うと10です。

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