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飽き性と習慣化の狭間でもがき得た本質

以前(数ヵ月前)僕が朝活の習慣化をしようとしていたことがありました。
「朝起きてからのシャワー・学習のための動画視聴・しっかり歯磨き・朝ラン」などです。

これをnoteに記載していない今でも継続しているのかと言ったら
実を言うとやれていません。💦

具体的には、「動画視聴・朝ラン」の2つがやれていません。シャワーとしっかり歯磨きは最低限続いています。


ここにまず僕の飽き性が出ています。
さらにnoteに書かなくなったことでやるための縛りが無くなっていることも悪影響となっていると思います。

でも

具体的に動画視聴(スマホ再生)はしていないのですが、
動画の中で印象的なフレーズは歯磨き中の脳内では再生されていますし、朝ランの代わりにスクワットと自重トレ・ダンス・バランス体操みたいなものは一応、朝ランの代わりにやっていたりします。

これというのは本質的に言えば、継続していると言えるのではないでしょうか。
具体的に動画視聴していなくても日々意識すべき事がらは脳内で反芻しているし、外で走らなくても体を動かすトレーニングはしているのですから。

飽き性で同じことを愚直に続けられていませんが本質部分は何かしら残っているのです。

(※ここで「それはただの言い訳だ!」と仰る方はその通りなのだろうなと思います。。がそれを認められないのも僕の悪いくせですね、、、、、)

飽き性の僕が、朝活を継続するコツは、
本質を捉えて効果的にメニューを変更して続けている、と言ったら聞こえがいいですので、そういうことにさせていただき、”継続中の習慣”としたいと思います。(頑固)

今日もお読みいただきありがとうございました。

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