「山崩し」という砂遊びで人と社会を例えてみた 続き

昨日から、砂の山崩しで人や社会の動きを表そうと書いていました。
ひとりひとりが砂の山を持っており、その砂の分量は千差万別で健康や意欲、お金や資産というものを表していると。そしてそれはイコール資産量であり、これから資産(健康や意欲、お金)を増やすようにしようという話をしていました。

今日はその続きで、砂の山に立てている棒は2本あるということや砂の山同士で砂のやり取りをしていることをイメージしたので、それについて書きます。

2本の棒とは

砂山に立つ2本の棒は、心の棒と命の棒に見立てています。
砂が少なくなると、まず心の棒が倒れ、そして次に命の棒が倒れてしまう。
(ときに2本とも同時に倒れてしまうこともあるでしょうが・・)

僕はいっとき心の棒が倒れていました。
心が折れていた。でも良くなることを諦めずに生きていたから、心の健康、体の健康ともに砂をかき集めて砂が増え、命の棒は倒れずに済んだ。
そしていつのまにか、心の棒がまた一人で立ち上がって2本になっていました。

もし心の1本が倒れていても、砂をかき集めたらまた2本が立つ。

今現代社会では、こころの棒が折れている人が非常に多いのではないかと。
僕は、手持ちの健康や経済面の不安を持つ同じような方に元気を与えて2本の棒にまたしてあげられるのではないかと思っています。

砂の移動

経済的な観点ですが総中流社会から、中流が減って上流と下流の2極化が進んでいると聞きます。
中流社会の中で砂の取り合いがあって上流と下流に分かれていてこの2極化はさらに大きくなると言われています。

働き方改革で法律の整備や派遣社員制度であったり、社会の仕組みが大きく変化しているのが一つ大きな要因では無いかと思います。
3か月で雇用を見直せる派遣社員を増やしていて、正社員は最後の既得権益と言われている。(頑張っても頑張らなくても給与が変わらないなら頑張らないを採る正社員より、派遣で働いた分だけ稼げる方がパフォーマンスが高いという考えもわからなくも無いのですが)

それでも大企業の利益を守り雇用の保護を薄くする制度が公然とまかり通っている気がしてあまり良い気はしないですが、とにかくお金という砂はあるところはさらに増え、無いところはさらに減っている。
(最近は自治体の公務員の職場にまで派遣社員が配属される現状)

経済的な面で下流と言われていても決して人として下流などではないですが、とはいえこれを良しとしてはいけないと思います。

また、経済的な砂が減るうえ、健康不安や生きる意味を見失うなど意欲や健康の砂まで減っていく方が多いのが現状です。
健康や、意欲といったところでまずは砂を増やして、また2本の棒を立て、そしてお金の砂も増やしていく。
人生をまた組み立てるというか、そうしてやる気に満ちた人生に僕自身も周りもしていきたいと思います。

明日ももう少し続けます。

今日もお読みいただきありがとうございました!

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