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42 Tokyo、 Piscine、 それとエスプリ

先月、42 Tokyo というソフトウェアエンジニア養成機関で、Piscine(ピシン)と呼ばれる入学試験を受け、無事入学許可をもらいました(※ トップ画像は 42 Tokyo ウェブサイトより)。この試験、平日休日を問わず4週間にわたって連日、次々と出てくる課題に朝から深夜まで向き合うことが求められるのですが、仕事のかたわら試験を完走したときには当然、満身創痍。

フランス発の「42」を知る

42 Tokyo は、ソフトウェアエンジニアを養成するために設立されたフランスの「Ecole 42」に出自をもつ教育機関で、そのネットワークはいまやフランスを越えて世界中に拡がっています。

フランスの「42」とそのユニークなアプローチのことを知ったのは、たしか2019年の夏か秋頃でした。昨年から今年の初めにかけて、経産省・マッキンゼーのチームと「AI人材育成のための企業間データ提供促進検討会」の事務局を共同で担当し、ソフトウェア系人材の育成に関連したガイドブックの策定に携わったのですが、その準備の段階でいろいろな情報交換を行っていた際、Project-Based Learning(PBL)やピア・ラーニングのアプローチを徹底する面白い教育機関がフランスにあると教えてもらったのでした。

また、この 42 には、入学者に対して経歴を一切問わず、42 を維持する費用の負担も要求しない(キャリア上の制約もない)という、ある種の信念に基づくものであろう運営方針があります。

DMM.com 始め多くのスポンサーのご尽力により、その日本版である 42 Tokyo が開校したのは昨年6月で、それ以来いつか参加してみたい(けど、仕事があるし難しいだろうな)と思っていたのですが、まさかのコロナ禍の影響でリモート参加のハードルが一気に下がったのを知り、コロナがくれたチャンスと前向きに腹を括って、まずは入学試験のための約1か月、仕事の時間以外のリソースをほぼ全投下することに決めました。

壁、あるいは通過儀礼としてのPiscine

革新的なカリキュラムと運営方針をもつ  42 ですが、その参加希望者の前にそびえ立つ高い壁が、冒頭で紹介したピシンと呼ばれる4週間の入学試験です。その壁の高さは、知る限りほとんどの参加希望者が、壁を見上げた瞬間に軽く心を折られるほどです。『賭博黙示録カイジ』という漫画を読んだことがあれば、あの「鉄骨渡り」をイメージしてください。

言い換えると、そうした簡単には越えられない壁を、曲がりなりにも乗り越えようと試行錯誤するプロセス自体が、ピシンというプログラムの中心なのではないかと思います。42 Tokyo の学生募集要項にはこうあります。

当校の特徴である「ピアラーニング(学生同士で教え合う手法)」を駆使することで、初心者も経験者もお互いに助け合いながら課題に取り組む独自の試験です。出題される課題は基礎的な内容から始まるため、プログラミングの経験に関係なく課題を進めることができます。入学試験に 4 週間という長期間を設けることで、濃密な学習経験を積むとともに、受験生と当校の相性を相互に判断できます。
試験期間中は周囲との協調性やコミュニケーション、自身の体調管理や進捗管理、そして学習に費やす時間が必要になるため、42 Tokyo の受験生には未来のエンジニアに欠かせない総合的な資質・学ぶ姿勢を求めます。

ピシンを通じて強く実感したのは、42 は、主体的に学ぶ場という本来的な意味での「スクール」であり、ピシンは、42 Tokyo が参加希望者をスクリーニングするための仕組みであると同時に、誰かに指導してもらうのを待つのではなく、学ぶべきものを考え、学び方自体を模索しながら学び、コミュニティに進んで成果を還元していく、42 の独特なアプローチの是非や向き不向きを参加希望者自身に考えさせる機会でもあるということです。

42 は、参加希望者の経歴を問わず、維持のための費用の負担を求めないと先ほど書きましたが、実は、何の代償も求めないわけではないのだと思います。参加者が自ら成長し、コミュニティへの何らかの貢献を通じて、仲間とともに成長する機会を創り出すことへの本気のコミットを、コミュニティに参加する代償として要求している、と考えるべきでしょう。

ピシンに参加しながら、ずっと頭の中で響いていたのは、スタートアップの世界でよく語られる次の格言でした。

早く行きたければ一人で行け、遠くまで行きたければ皆で行け。

ピシンは、本科プログラムへの参加者をスクリーニングするという意味では確かに「入学試験」ではあるのでしょう。ただ、受験者同士で争わせて他を一点でも上回った受験者を選抜するという競争試験というよりは、42 という(誰かに与えられるのではなく)在校生たちが自ら育てていかなければならないコミュニティへの理解を深め、そこに参加するのに最低限必要な術を身につけさせる、一種の通過儀礼として存在するのかもしれません。

ピシンのコンテンツは口外しないお約束ですし、参加前に知ってしまうと一度しかない体験の価値を損なうことにもなりますから、ここでは控えます。ただ、プログラミング技術の習得という観点からも、ピシンの4週間で得られるものは、同じだけの期間や時間、一人で漫然と学ぶことで得られるものを、優に上回るものであることは間違いありません。

42 Tokyo のウェブサイトにはこのような記述がありました。

入学した全員が、コンピューターの基礎から勉強を始めます。一見、遠回りに感じる学問ですが、しっかりと体系立ったプログラミングを学ぶためのベースになります。時間をかけて基礎を固めたエンジニアの評価は、各国の42の卒業生によって証明されています。

ピシンを終えて得た実感としても、プログラミングの課題を通じて、個々のプログラムがどのような働きかけをコンピュータに対して行っているのかをよく考えさせられ、ピシンの前と比べると一段か二段、直接的に見えないものに対する認知が深くなっている感覚があります。

といっても、ピシンの間に実際に待っているのは、随所に仕掛けられたエスプリの効いたトラップの数々に翻弄される時間の連続で、トラップの所在を調べて解決策を考えて実装しては別のトラップに嵌まって鬱になるのを繰り返す羽目になります。今の自分には絶対に無理だと思わされる事態も頻発しますが、それでも足掻き続けて振り返ってみると確かな成長の実感があるのが面白いところで、本当によくデザインされているなと感動します。

Piscine とは、フランス語で「プール」という意味だそうです。

なぜ今、プログラミング?

ピシンの最終日に、42歳の誕生日を迎えました。5年前になりますが、経済学を学んでいたオランダから帰国して以来、スタートアップの内外で働いたり、AI・データ政策の周りであれこれしたり、自分で法律事務所を経営したり、執筆したり発表したりして、それなりに忙しくなってきたところに、なぜ今、プログラミングなのかというのは、よく質問されます。

一言でいえば、プログラミングを学ばずに「よく生きる」ことが難しい時代になった(なる)から、というのが答えの一つです。「よく生きる」とは何か、というテーマは古くから思索されてきたものですが、自らの生を自らの意思でコントロールすることをその要素として捉える観点からいえば、ソフトウェアへの理解を深め、それを正しく扱う能力を身につけることは、(ノーコードだの何だのが流行っても)最早避けては通れないでしょう。

まあ、理由をあえて言語化するとこのようなところですが、本音をいえば、なんか面白そう、という理由が一番かもしれません。わからないことを学ぶのは、それが難しいほど面白いものです。

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