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東京での暮らし


新型コロナウイルスに感染した志村けんが亡くなった同日、父方の祖母も老衰であの世へいってしまった。悲しかった。物心つく頃にはいなかった父親という存在と暮らすのが苦しくなり、黙って家を出てから一度も会いに行かなかった事を悔やんだ。
新型コロナウイルスによって面会が拒否されるようになったばかりの病院で、祖母は93歳で亡くなった。翌々月、祖母の四十九日を終えた3日後、今度は祖父が、98歳で急逝された。老衰だった。両親の死から父親は痩せ、髪の毛がもっと短くなった。祖父が荼毘に伏されている待合い室の中で私は退学を決めた。とても不安定でとても大きな、それでも後悔の無い選択だったと胸を張って祖父母に伝えたい。気づけるきっかけをくれてありがとうと。
専門学校の退学後、私はコロナ禍の半年間、東京でフリーターとして、色々な、本当に色々な経験をした。上京時から勤務していたセクハラ、モラハラだらけの居酒屋は退学すると同時にやめた。朝10時から定食屋、夕方17時から高級寿司屋が週3日、残りの4日は朝から夕方まで事務仕事の掛け持ちを始めたが、寝起きから流れる涙と希死念慮、無感情のループに陥った。先方が提案した受付時間の1時間半後にようやく面談時間になる下北沢の不思議なメンタルクリニックで、適応障害だと診断された。事務仕事はやめた。地元に帰ることに決めた。定食屋と寿司屋にはまだ在籍している。
私の東京でのフリーター生活は今月いっぱいで終わる。ひと言では表せないくらい濃くて、でも浅くてすぐ破けてしまいそうな思い出が沢山詰まった東京。良いことばかりでは無いし、悪いことばかりでも無い、成長と無力さを感じることの出来た2年間。今日は読みかけの本を読もう。

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